愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

I am I.(私は私)

 マントラとは、それを熟考するものを保護するもののこと。一般的にはインドにおけるヴェーダがその代表です。ヴェーダでなくとも、力をもつマントラはたくさんあります。その一つが今日取り上げる"I am I."(私は私)です。

 "I am I."と繰り返し憶念することで人は本当に守られるでしょうか? 私がこのマントラについて理解が進んだのは最近のことで、私自身もこのマントラを今までそれほど唱えてきていないので、どのような効果があるか自分で体験はしていません。ここでは、このマントラのすばらしさの一部に触れておきますが、多少なりとも私自身もこのマントラを今後口に唱えていくつもりでいます。

 すべての宗教が人間は神聖な存在であるといいます。仏教ではすべての人に仏性が備わっているといいますし、他宗教でも人の本質は神性であるといいます。(仏性と神性は、仏と神の字の違いはありますが、同じような意味だと私は受け取っています。)これはつまり人間が本質的にこの世界を創造した神と同一であることを述べています。

 神は無限であり、全知であり、全能であるとされます。一般的には神は人間にない能力を備えているとされます。であるのになぜ人間が神であるのか? 人間はほんの些細なことですら完璧にこなせないにもかかわらずです。

 私は男である。私は日本人である。私は何歳である。私は歌がうまい、私は走るのが遅い、私は背が低い・・・などなど自分の特性をいくつもあげることができます。しかしたとえばこれらは自分にレッテルを貼っているだけです。私という存在に属性を結び付けているだけです。

 しかしながら、実際のところ自分(私)Iとは何でしょうか? 私たちが自分のことを私というとき、人は何を指して私と呼んでいるのでしょうか? 私は実際のところ生まれる前も私であったはずなのですが、その際私が男であったり日本人であったりしたわけではありません。では私とはいったい何でしょうか? 私が自分を私というとき、私は自らの存在を指して私と呼んでいます。私は存在していて、その存在が私です。おそらくすべての人に自分が存在しているという感覚があると思うのですが、どうでしょう?

 その私が神であるというとき、一般的に神の属性だと思われている無限、全知全能、遍在などをもってきて、「私は全知全能である」「私は遍在である」と自信をもっていえる人はいいのですが、普通はそういうことはいえません。そしてたとえば「私は無限である」というとき、それはつまり私に無限という属性を当てていることを意味しています。

 しかしこのような主張は人間が神であることを示すのに不適切だという人がいます。むしろ"I am I."という方が人間が神であることを主張するに適切であるとその人はいいます。私が私であるというとき、それは私が属性を持つ以前の存在であるということを主張しているからです。私は常に私であって、何らかの属性の制限のもとにあるのではなく、私はそれらの属性を越えているという主張。それが"I am I."です。

 「私は私」とは現代の日本の若者でもしばしば口にする言葉です。しかしながら、霊的な見方をするならば、これは自らが創造主であることをもっとも端的に宣言する言葉であり、強力なマントラであるといえます。「私は神」と宣言することは多くの人にはばかれるでしょうが、「私は私」と宣言することは万人に可能なはず。そういうことを最近人に教えてもらい感銘を受けた次第です。

 "I am I."というマントラ、もしよければ受け入れてみてはいかがでしょうか。