愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

バガヴァッド・ギーター2

 その優れた読者ではないのですが、霊性について語るならギータについて時々は語りたくなるもの。最近新しいことを知ったのでそれについて触れたいと思います。

 サンスクリット語の原典を見たことがないので伝え聞くばかりなのですが、ギータの一番最初の言葉は「私(の)」で一番最後の言葉は「ダルマ」のようです。これ(私のダルマ)がギータの要約だとされます。つまり自らのダルマに従うことがギータの御教えの根幹にあるということ。

 そして最近知ったことですが、ギーターには確か700くらいの詩節があるようで、その真ん中に当たるのが第9章22節のよう。これを岩波文庫から抜粋すると以下の通りです。
 「ひたすら私を思い、念想する人々、彼ら常に(私に)専心する人々に、私は安寧をもたらす。」
 第9章22節の英訳の一つは次の通りです。
 "Repose steadfast faith in Me and think of Me always. I shall then carry your burden entirely."(揺るぐことのない信仰を私におき、私をつねに思うなら、わたしはあなたの抱える重荷をすべて引き受ける。)

 日本語訳と英語訳とでは多少ニュアンスが異なります。サンスクリット語ならまたこの二つと多少のずれがあるかもしれません。しかし言わんとすることは伝わります。

 霊性の道は大きく分けて三つ。行為の道、帰依の道、英知の道です。ギータが説く行為の道は「結果を執着せず行為そのものに専念しなさい」ということ。帰依の道は「私に全託したならばあなたの面倒はすべて私が見る」ということ。上記の第9章22節はこれに関わる詩節です。英知の道は「人は三つのグナに縛られているが、それを越えそれに影響されずに生きなさい」ということ。

 最も簡単なのは帰依の道で、第12章は丸ごと帰依にかんする章とされます。帰依に関して有名な節は他に例えば第18章66節があります。
 「一切の義務(ダルマ)を放棄して、ただ私のみに庇護を求めよ。私はあなたを、すべての罪悪から解放するであろう。嘆くことはない。」(岩波文庫より)

 ギーターは誰もがそこから有益な教えや慰めを得ることのできる聖典ですが、その中でも特に人々をひきつける節があり、そのうちの2つが第9章22節と第18章66節。ただクリシュナを思うだけで平安に一生を過ごすことができるというクリシュナの宣言を受け入れるのは、人によっては簡単ではないかもしれませんが、試みようと思えば誰にでも試みれる道です。

 クリシュナでなくとも、自らが心より信仰する神仏、例えばイエスブッダ阿弥陀様などであっても、私は同じことだと思っています。イエスブッダ阿弥陀様をいつも思い続けているならば、やはり人生において嘆く必要はないでしょう。