愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

サハ ナヴァヴァトゥ(一体性のマントラ)

 

先週はギータの一節に関して触れました。第9章26節「人が信愛をこめて私に葉、花、果実、水を供えるなら、その敬虔な人から、信愛をもって捧げられたものを私は受ける。」(岩波文庫)に関してです。そして葉は肉体を、花はハートを、果実はマインドを、水は愛を意味していると述べました。今日はそれに関することを別の観点から見てみます。

 

このブログで以前触れたことがあるのではないかと思いますが、次のようなヴェーダマントラがあります。
サハ ナヴァヴァトゥ(共に行動しましょう)
サハ ナウ ブナクトゥ(共に前進しましょう)
サハ ヴィルヤム カラヴァーヴァハイ

(知性で得たことを分かち合いましょう)
テジャスヴィナヴァディタマストゥ マー ヴィドヴィシャヴァハイ

(私たちが皆争うことなく共にありますように)
これは私たちが一つであること(一体性)を願って唱えるマントラとされます。

 

ヴェーダは単に散文を読むように意味を読み取るだけのものではありません。ヴェーダは声に出して唱える時、そして唱える時に一つ一つの単語の意味を理解するようにした時に、単なる表面的な意味とは少し異なる気づきを唱える者に与えることがあります。なので同じマントラを唱えても、人によって少しずつ受け取り方(気づき)が異なることがあります。以下の解釈は私がこの一体性のマントラを唱えている時に得た気づきに関してです。

 

サハ ナヴァヴァトゥ(共に行動しましょう)
共に行動するということです。共に動くということです。これはあくまでも私の感覚なのでほとんどの人には理解しにくいことかもしれませんが、私はこの世界が自分の体のように感じることがあります。いつもというわけではありません。エゴや執着などの囚われがない時に特にそう感じます。私にとってサハ ナヴァヴァトゥ(共に行動しましょう)とは、そういうふうに自分と世界が一つであるという感覚を確保することでもあります。これは肉体=葉(ギータ9章26節)です。

 

サハ ナウ ブナクトゥ(共に前進しましょう)
共に方向性をもって前進していくということです。自分の周囲の状況を理解し、人々の望むことや目指しているものを共有し、その方向に沿って努力を重ねることです。これは私にとって周囲の環境、人々に心(ハート)を開くことです。心(ハート)を開かない限り、周囲の状況や人々のことを少しばかりでも理解することはできません。そして彼らの方向性を共有することも。私にとってサハ ナウ ブナクトゥ(共に前進しましょう)とは、そのように心(ハート)を大きく開き共感することを意味します。これはハート=花(ギータ9章26節)です。

 

サハ ヴィルヤム カラヴァーヴァハイ(知性で得たことを分かち合いましょう)
人はいろいろと知識を集めて経験を重ねていくと、さまざまな事象に関してより深い理解を得ることができます。ニュートンの言葉なのかどうか議論がありますが、次のような言葉があります。「私が遠くを見ることができたのは、巨人たちの肩に乗っていたからです」人は一人でありとあらゆる知識を得ることはできません。他の人が得た知見を活用してより高い見地に立つことができるというのが本当のところです。人々が知性で得たことを分かち合ってこそ、皆が繁栄します。私にとってサハ ヴィルヤム カラヴァーヴァハイ(知性で得たことを分かち合いましょう)とは、そのように自らが得た気づきを分かち合うことです。これは果実=マインド(ギータ9章26節)です。

 

テジャスヴィナヴァディタマストゥ マー ヴィドヴィシャヴァハイ(私たちが皆争うことなく共にありますように)
人と人とは多少なりとも意見は異なるものですが、その違いを大きく捉えることなく、多少の不都合は脇において争わないようにする。そのままの他者の姿を受け入れるということです。これは愛に基づいた関係の維持を優先するということです。傷つくことがあっても相手を許すということが愛の大きな特性です。私にとってテジャスヴィナヴァディタマストゥ マー ヴィドヴィシャヴァハイ(私たちが皆争うことなく共にありますように)とは、そういうふうに愛に生きることを意味します。これは水=愛(ギータ9章26節)です。


以上の見解をまとめると、ギータ9章26節は世界と一つになって生きていくことを意味しているともいえます。世界と一つになって生きることは、一人でできます。不二一元論の最高の境地においては多様性などなく唯一のものが存在するだけなのですから。世界と一つになって生き続けることでその不二一元の境地にたどり着ける可能性があるわけです。

 

一見こじつけのようなマントラの理解かもしれませんが、しかしながらこの理解は私がこのマントラを声に出して唱えている最中に得られた気づきであって、頭で考えて得られたものではありません。頭で考えた理解ならわざわざここに書いたりはしないでしょう。何らかの参考になればと思います。