1日1食

 

食の重要性は、ある意味理解されていますが、別の面では理解されていないと思っています。西洋栄養学の成果を否定するわけではないのですが、食物を栄養学だけで捉えるのは、人間存在を肉体面だけで捉えるに似ていて、食の意義について十分な理解が得られない可能性があります。私は衣類に比べて食事にはかなりこだわってきました。食事が大きく変わったのは約20年前で、その頃に菜食をはじめました。肉・魚を含んだ食事から菜食に変えて、何となく元気がなくなるような気がして動揺したこともあったのですが、今振り返ればそれは動物的なガツガツしたガメつい性質が抜けていっただけに過ぎません。以後20年間大雑把な菜食主義者でやってきました。肉や魚の塊を口にしたことはないけど、外でちょっとうどんを食べるときにその出汁にカツオが用いられていたり、あるいはパンを食べるときにその生地に卵が混じっていたりするくらいはありました。厳格ではなかったけど、菜食で20年やってきたと主張できると思います。これが私の食事の変化の最大のものです。

 

さてほんの1週間ほど前からのことですが、今度は思い立って1日1食に取り組んでみることにしました。まだ1週間しか実践していない状態で、今後どうなるかわからないのですが、それでも1週間でいくつか語れることがあります。できればこのまま1日1食を続けてみたいという気持ちはありますが、体調の変化を慎重に見極めながら様子を見ていくつもりです。この1日1食が軌道に乗れば、菜食並の食における大きな変化といえます。

 

1日1食を初めた直接のきっかけは、南雲吉則氏の『「空腹」が人を健康にする』という本を読んだことです。南雲氏は「ハゲを治しにいった病院の医師が禿げていたら、信用できません。同じように肥満外来に行って担当医が太っていたら、通院する気がおきないでしょう。」とおっしゃっていて、それでは彼ご自身は彼の食事法・健康法で何を目指しているかといえば、「外観は健康状態のあらわれである」という考え方のもと、内面の健康が表に現れて、若く美しくなっていただきたいと書かれています。そして彼自身は彼自身の食事法・健康法のもと若さと美しさを保たれていて、その点は信頼できると思うのです。一応本には1日1食に関する医学的な所見も書かれていて、医学に素人の私ですが、妥当なところはありそうだという印象です。

 

南雲氏の本はきっかけです。実は以前からインドの次のような格言を耳にしていました。「1日1食はヨーギ(ヨーガ行者)、1日2食はボーギ(快楽・享楽を求める者)、1日3食はローギ(病人)」という格言です。これに当てはめて考えると、私は50年にわたって1日3食の生活を続けてきたので病人であったということになります。実際に持病があるので病人であることは妥当なのですが、表面上肉体は健康であったとしても1日3食の人が病人であるとの指摘には深い意味がありそうです。消化器官へ重い負担をかけ続けることは必ずしも健康的なあり方ではないですし、食物が人の精神を煽っていて、人がその影響を受け続けていることも理解しなければなりません。

 

たった一週間ですが、1日1食を続けてきて変化は感じます。体重は2kg減りましたが、南雲氏によれば、1日1食を続けていると、体重は減り続けるのではなくて適正体重に落ち着くそうです。南雲氏は、1日1回の食事は夕食を摂るのがよく、その食事は食べたいものを食べたいだけ食べればいいとおっしゃっています。私は1日1食にして、夕食をこれまでよりもたくさん摂っています。1日3食の頃と比べて、1日の全体の食事量は半分か半分弱ではないかと思います。1日1食だと本当に体が欲しているものしか食べようとしないとも書かれていて、それは私の実感でもあります。精神面でも変化はあります。やはり一日の摂取エネルギーが減ると、余分な活動をしようという気が起こらないのです。菜食にしたときもそうでしたが、1日1食にして雑念が減る感じはあります。なので、やらないといけない本質的なことに一層意識が向きます。この一週間とそれ以前とでは一日の全体の活動量は変化はないと思いますが、不必要なことへの関心が減って気持ちが楽です。

 

私は山歩きが好きですが、試しに1日1食で近所の山にもいってきました。これは少しきつかったです。山歩きは結構消費エネルギーが大きいので、今後山歩きをする日は、その日に限って1日2食なりそれに行動食を加えるなりの対応をしないと難しいような感じを受けました。

 

私は断食に関心を持ったこともあるのですが、断食は断食明けの対応が素人には難しいと聞いていたので、断食に取り組んだことは今までありません。1日1食は、個人的には断食よりも気は楽です。「1日1食はヨーギ」も一週間で少し意味がわかってきたところがあります。ただ繰り返しになりますが私は持病があるので、今後は様子を見ながらです。先々血液検査などの数値も参考にしないといけないでしょうし、慎重に状況を見極めながら1日1食を当面続けるつもりでいます。

 

私の1日の食事量が半分になってそれで健康や日常生活に悪い変化が見られなかったとしたら、そして多くの人にとってもそうであるならば、世界中で最低限必要とされるだろう食料の量が変わりうると思います。場合によっては国家の安全保障に関わることです。

 

私は一応学生時代理系だったですし、科学の精神はあるつもりで、何でも実験が大切だと思っています。その実験精神で1日1食に取り組みます。無事続けることができれば、またの機会にご報告するつもりでいます。