愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

社会は実在する!?

 奇妙な話なのかもしれません。最近ある社会学者が社会は存在すると書いてあるのを読みました。そういうことを考えたことがなかったので新鮮でした。このように書いてあるということは、もしかしたら社会は存在しないと主張する人もいるのかなと思いました。つまり、社会とは理念あるいは観念に他ならず、実際のところは個人の離散集合しか存在しないと考えられているのかなと感じたのです。

 社会はいろいろな機能を持っています。食糧を生産したり、物を作ったり、それらを流通させたり、医療機関があったり、交通機関があったりなどなど。そして多くの人々が集まって生活していることも間違いないでしょう。しかしどうでしょう? 人間の身体には消化器官や呼吸器官、排泄器官や運動器官などがあり、細胞とそれらが集まったものですが、それらを統合する人としての存在があります。(私はそう受け止めているのですが)それと同じように、さまざまな社会の機能があるだけでなく、それらを統合する存在としての社会があるかどうか。冒頭に取り上げた社会学者が触れていたのはそのことのような気がするのです。

 今の私は、社会は存在すると思っています。目に見えない人間の魂が肉体を統合しているように、社会とは目に見えない一つの実在でそれらがさまざまな機能を有していると。もう少しいうならば、人間の霊(魂)は人間の身体とは関係なく、それを超えたものですが、一人ひとりに宿っているように見える霊の本来の姿は社会により近いのではないかと思っているのです。

 太陽は一つですが、さまざまな容器を満たす多数の水に映し出されます。同じように霊(社会)は一つですが、さまざまな容器(肉体)に映し出されたものが個人と呼ばれるものではないかと。

 社会学者は研究対象が社会なので、社会が存在していなければ困るわけです。宇宙人が実際に存在しているかどうか明らかでないと受け止めている人が宇宙人の研究をするのが困難なのと同じです。

 生まれてから成長していく中で、さまざまな人と関わりをもち、人生がさまざまに広がっていくことは、人が肉体に閉じ込められたちっぽけな個人からより大きな社会へと自らを拡大していくことでしょうが、それは自らの姿(霊的実在)についての正確な理解を深めることそのものであると思っています。人は、個人から社会へと進まなければならないと師がかつていっていたのを思い起こします。

(私の過去の記事には、フォントの大きさがさまざまで一部読みにくい箇所があります。しばらくそれを修正する作業をしようと思っています。そのため時間の関係で、定期的に更新していたこのブログを少しの間更新しないことがあるかもしれません。その場合、お許しください。どうぞよろしくお願いします。読んでくださっている方々に謹んで感謝いたします。)