過去のブログ記事の振り返り

 先週の記事の最後に書いたのですが、過去のブログ記事のフォントの大きさが不ぞろいになって、一部醜くなっているところがあり、それらを修正することにしました。思っていたより修正に時間がかかりませんでした。しかしその作業中、思うことがあったので、それについて触れておきます。

 私がヤフーブログを始めて6年弱。300ほどの記事を書いてきました。ブログの記事を積極的に書く方は1000も2000も書いているので、それに比べると数は小さいのですが、それでもすべてのページに目を通すと、結構書いてきたなと思わずにはいられませんでした。内容に関して一字一句目を通したわけではなく、主に形式についてチェックしただけでしたが。

 このブログでは主に霊性に関するものに話題を限っているので、たくさん書いていると、どうしても内容かかぶるものが出てきます。できるだけ体験に沿ったもの、自分が実行してきたことを書くつもりでいて、単なる考えや思いつきは可能な限り避けようと思っていますので、時間と経験に限りのある人間がそうそう多くを書くことはできません。これから先もどれだけのことが書けるかわかりませんが、内容が重なることもあるにしろ、当面は500くらいは書くことができればいいなと思いました。あと200、週に1つ書くとして約4年。それから先のことはそのときになって考えるつもりでいます。

 書いてきたことは、単なる引用ではなく、確かに私の心をよぎったことばかりです。しかしながら、過去の記事を振り返ってみますと、こんなことも書いていたんだと思うことが結構あります。そういうものは、単に私の心をよぎっただけで、結局のところまだ自分の血となり肉となっていないことといえます。人が本当に必要としていることは、仮にたった一つであったとしても、心(ハート)に確かに刻まれたものだけだと聞きますが、私が書いたものの中で私に真に必要なものはごくわずかだということになります。

 しかし慰めになりますが、私の書いたものが、誰かが思索する上でわずかばかりでも刺激になっていたならば、それだけでも書いておいて良かったのかなという気がします。

 話は横道にそれますが、今回過去の記事を閲覧している間、ヤフーブログサービスの調子が芳しくありませんでした。過去の記事のフォントがおかしくなっている箇所は、私がそう書いたわけではなく、多分ヤフーのシステムのせいではないかと思っているのですが、そういうことが重なると、もしかしてブログそのものがいつか消えてなくなるのではないかと、可能性は低いにしろ、そんなことを思ってしまいました。

 ある種の日記の側面のあるブログを処分するかどうかを決めるのは私であり、今しばらくはこのブログを残しておきたいので、少しずつですが、自分の書いたものをプリントして残そうと思いいたりました。

 自分の書いたものにこだわるのは滑稽ではあるのですが、たとえば明石家さんまさんは、自分の出演したテレビの録画をいつも見ているそうです。自分のテレビを楽しんでいると同時に、芸をより良いものにするためでもあるのだと思います。記録を残しても、先々捨ててしまうかもしれませんし、もしかしたら長い間とっておくかもしれません。

 自分が書いたものだけに関心があるのではなく、さまざまな方のコメントも残しておきたくはあります。ブログというのは実際にはどういう原意があるのかわかりませんが、ログという言葉には「日々に起こったことの公式の記録」という意味があります。私は過去ジャーナリズムに関心をもっていた時期もあり、記録というものには多分他の人よりも敏感なところがあります。

 加えて、多くの方が読んでくださり、多くの方がコメントを下さり、多くの方に支えられてきたということも改めて感じた振り返り作業でありました。たくさんの人が行き交う大きな交差点とは決していえないのですが、それでも幾人かの方々が通り過ぎていった一つの地点であったといえるかもしれません。私は人がほとんど通らない過疎地の道を歩くことが時々あるので、そういうものにはそういうものの趣もあるのではないかと思っています。

 改めてまた少しずつですがいろいろと書いていくつもりでいます。
 どうぞよろしくお願いします。