信じる心

人間には信じる心が自然に備わっています。信じる心がなければ人間は1時間1日たりとも平安を楽しむことはないでしょう。人間と信じる心は切り離すことができません。

たとえば幼い子どもは母親を信じています。子どもは「母親を信じなさい」と誰かに教えてもらって母親を信じているわけではありません。子どもは生まれた時から母親を信じています。子どもに限らず、大人もそうです。もし人に信じる心がなければ、誰もレストランの食事を口にすることはないでしょう。レストランで出される食事は安全で食べることができるものだとほとんど無意識に信じているからそれを食べることができます。散髪屋に行ってもそうです。散髪屋さんがはさみやカミソリで自分を傷つけることがないと信じているから、彼らの前で頭部を晒すのです。

人には人間を超えた力を信じる心もごく当たり前に備わっています。私は姪がまだ小さかった時、「神様はいるかね?」と聞いたことがありますが、「当たり前じゃない」との答えが返ってきました。

現代人はテレビやインターネットで流れる情報は信じても、自分の心臓を脈打たせてくれる力に気づいたり信じたりすることがありません。美しい花を創造した方を思い信じる時間がありません。毎日の私たちの食物(野菜やお米など)を作ってくださる方に感謝を捧げることもほとんどありません。私たちはLED電球には何千円とお金を払いますが、その何億倍もの明るさで全世界を照らしその見返りを何も要求しない太陽の力を思うことがありません。私たちはそれらの力を信じていいのです。

何かを信じる上で問題となるのは、盲信や狂信です。人を操ろうとしたり依存させようとする宗教は本物ではありません。宗教は人間の自立を促し、人間が尊い存在であることを示し、至福をもたらすものです。本来人間には信じる心が備わっていますが、神=超越者と私との間に割り込んで、自分の言うことを信じさせようとする説教者がいたら、そこからは去ったほうがいいと思われます。

宗教に関わる場合は、しっかりとした識別心が必要です。その宗教を長く信じている人を見て、その人たちが人間として信頼できるかどうかをよく調べなくてはなりません。神を信じる心はとても自然なものなので、不自然なものには注意が必要です。

レストランの人を信じているのでおいしいものを食べることができます。運転手を信じているので、交通機関を用いて目的地に到達することができます。お互いどうしを信頼しているので、人々はビジネスを営むことができます。信じることは人間の本性です。繰り返しますが、信じる心を失った人は、ただの1分1秒たりとも心が休まることはありません。

おまけ)”When I do good, I feel good. When I do bad, I feel bad. That's my religion." -Abraham Lincoln
「善いことをした時に、善い感情になります。悪いことをした時に、悪い感情になります。これが私の宗教です。」―アブラハム・リンカーン