愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

リーダーシップ

私はリーダーシップについて時々考えます。10年くらい前はリーダーシップには関心はほとんどなかったのですが、最近は結構重要なテーマだと思うようになりました。

なぜ日本は戦争の道を走ったのかずっと考えていました。たくさんではないのですが、何冊か戦争に関する本を読みました。そして、責任の所在が結構あやふやなことに気づきました。責任の所在があやふやなのは、現在でもかわりないように思います。原発事故に関して、誰が責任を負うべきなのか、結局今までのらりくらりとあいまいになっているように感じるのです。

個人の責任についてもですが、組織のあり方にも問題があるように思います。そして組織について考えた場合、リーダーシップのありように結局行き着いたのです。

日本には他国同様、優れた人がたくさんいます。文化も優れていますし、自然環境にも恵まれています。しかし、リーダーシップが少し弱いように思います。日本の場合、立場の高い人に合わせておけばいいという傾向があるような気がし、「ぜひともこの人に従っていこう」と思わせるような人はそう多くありません。

以前読んだ話でうろ覚えなのですが、海外でそのリーダーシップを認められている人がいうには、「リーダーは人の上に立つもののことではなく、みんなの中心にいる人のことです」とおっしゃっていました。他国でもそうなのかもしれませんが、日本はやはり権威主義的な面があり、上から人を導こうとします。それをあまりに当たり前のように思っているかもしれません。

私は学生時代チームスポーツをやっていたのですが、リーダーは監督のような立場の人のことではなく、チームスポーツにおけるキャプテンのような役割を持つ人のことだと思います。チームスポーツでは一人の力で勝つことは非常に困難です。自分が最高のパフォーマンスを行うと同時に、皆の力を引き出し一つにならなければなりません。皆と共に行動し、何らかの洗練があり、チームの皆から信頼されている。そのような人がほかの人に認められるリーダーのように思います。

頭でっかちの人は上から人を導こうとします。リーダーシップを備えている人は、チームあるいは組織の個人個人と直接的な人間的つながりがあり、そのつながりは体にしみているものです。ガンジーはどのような人からも親しみをもって愛されたといいます。ガンジーは理想を持っていましたが、行動で人々を導きました。人間として立派な性質を持っていなければ、誰もその人についていこうとは思いません。

現在は多くの面でここ100年余りのやり方が根本的に見直されている時期なのだと思います。過去の常識はひょっとしたら非常識なのかもしれません。リーダーシップについても同じことが言えると思います。

おまけ)“Action expresses priorities." Gandhi  (行動は何を優先すべきかを表します。-ガンジー