メソポタミアのハムラビ法典か何かに「目には目を、歯には歯を」という言葉が出てくるとずいぶん昔に聞いたことがあります。他人の目を傷つけたものは目を傷つけられることで償いをし、歯を傷つけたものは歯を傷つけられることで償いをするというような意味だったと思います。現代の刑罰制度から見れば、少し残酷な気もしますが、与えた損害を等しいもので償うという考えが行き渡っているところでは過度の償いが求められることがないような気もし、古代の人々の知恵を私は感じています。また、人に苦痛を与えることを人々が避けるようになると思います。
私が気になるのは、目に見えない暴力に関してです。現代では精神的苦痛に関しては慰謝料を払うケースがあり、目に見えない苦痛にも償いをしなければならないと考えられています。私は目に見える暴力のみならず、目に見えない暴力に対しても人は償いをすべきだと思っていますが、目に見えない分、それはなかなか難しい問題です。
人を抑圧しその人の創造性を奪ったものが、人から抑圧され創造性を奪われますように
人に話を聞かせ続けてその人の想像力を侮辱したものが、人の話を聞かされ続け想像力を侮辱されますように
人を迷わせ無知の闇におとしめたものが、人から迷わされ無知の闇におとしめられますように
そして、このような類のすべての体験を通じて、皆が人類が一つであることに気づくことができますように
さらにまた、「すべてを愛し、すべてに奉仕する(Love all, Serve all)」ことが人としてのあるべき姿であることに気づくことができますように
世の中には無慈悲な人も中にはいるようで、自分のやっていることに気づかぬまま人に苦痛を与え続けている人がいます。 苦痛を与えられている人の姿を見ると、つい上に書いたようなことを願ってしまうことがあります。
「目には目を、歯には歯を」が終わりのない復讐の連鎖になることなく、人々が罪を恐れ、愛と一体性(すべてが一つであるとの意識)に生きることに目覚めるきっかけになればいいと思います。人生はそのようなことを学ぶための学校なのですから。