愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

自己肯定

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Lisandro Fadda


霊的な道には、帰依の道と英知の道(と行為の道)がありますが、帰依の道は、自分を小さくし神にすべてを委ねます。英知の道は、自分に頼り、自分を大きくします。帰依の道は、自分を小さくして無になったとき、神しかありません。英知の道は、お釈迦様のいったといわれる「天上天下唯我独尊」のように、自分だけの世界になります。どちらの道を歩むにしろ、ただ一つの存在に行き着きます。

 神と人間の本質は同一であるというのがウパニシャッドの主張です。なかなかその認識に至るのは大変です。私はウパニシャッドの主張は真理だと信じていますが、仮にこれが思想であったとしても、これほど高貴な思想はないでしょう。現代社会における、人間は肉体に過ぎず、肉体の欲に従うことが人生であるという思想と比べれば、雲泥の差です。

 いろいろな要因があると思いますが、日本人の自己評価は低いと言われています。自分は卑しいとか、自分は大した人間ではないとか、私は罪深いなどの否定的な思いでいっぱいの人もいます。私の家は浄土真宗で、開祖の親鸞上人も自分は悪人であると言っていましたが、最終的にはこのようなエゴを乗り越えて滅し、すべてを阿弥陀仏に委ねました。自己否定を乗り越えたのです。

 私は自己否定の強い人間でした。世の中にはすばらしい人がたくさんいる一方、自分のダメなところがよく見えました。しかし、自己否定はよくありません。溺れている人を突き放すように、自分で自分を蹴落としても、苦しみしかありません。自分の欠点を理解することは大切なことでしょうが、自分を否定してはいけません。どうにかしてこの状況から抜け出さなくてはなりません。自分を批判したり、否定することは、真の自己である神を批判することです。これは罪深いことです。真に信仰を持っているならば、これは避けなければならないことでした。自分を傷つける人は、他者も傷つけます。世に蔓延する暴力の根源は、この自己否定にあるのかもしれません。

 私の師は、悪いことをしても謝る必要はないといいます。これは悪いことをしていいというわけではありません。もし自分の行為が悪だと一旦認識すれば、ただそれを繰り返さなければいいのです。悪いことをしたと自分をさらに責めることは、罪を上塗りすることです。また、自分の行為を悪と認識できなければ、口だけ反省しても振る舞いを改めることはできません。悪の報いはあります。悪いことをすれば謝ろうと謝るまいと自分は苦しみます。読んではいないのですが、少し前に、「反省ばかりしていると犯罪者になる」というような題の本があるのを知りました。その通りなのかもしれません。

 自分を肯定することです。「私は神である、私は神である」と自分に言い聞かせていたのが中村天風です。本質において、人間は宇宙を創造した神と等しいという言葉を私は信じています。もしそれを信じられない人がいても、自分にそう言い聞かせ続けていると、いつか自己否定は自己肯定に変わります。

 自分の良い点を何個も書き出してくださいと勧める本をだいぶ前に読みました。それに従って、自分の良い点を書き出そうとすると、最初はなんとなく違和感があって躊躇していたのですが、今の私は自分の良い点をいくつも上げることができます。中には自分の良い点を何百もあげることのできる人がいます。

 人生においては自分が頼りです。その自分を否定することは人生を否定することです。肯定、肯定、肯定です。エゴやうぬぼれではありません。きちんと振り返れば、人間には良いところがたくさんあります。すべての人にです。冷静に正当に評価すれば、皆が自分を肯定できるはずです。生きることは本当に大変なことで、皆がこれまで生きてきたのです。他人の評価は受け入れず、何よりも自分で評価することが大切です。人間はこの上なく神聖な存在です。多くの人にこのことに気づいて欲しいと願います。

※ "If you accept the expectations of others, especially negative ones, 
      then you never will change the outcome."-Michael Jordan
「もしほかの人の期待、特に否定的なものを受け入れたならば、あなたは決して結果を変えられないでしょう。」(マイケル・ジョーダン