マンダラのような世界

 最近読んだネット上の記事で宋美玄氏のものが少し気になりました。(こちら
 この記事に中に次のような言葉があります。

 「しかし私は、いくら相手が記憶に残らないほど幼くても、子どもたちに手を上げたくはありません。理由はただ一つ。子供たちに「暴力という、最終手段がある」と思ってほしくないからです。」

 彼女は子育て中のようで、著名なミュージシャンが中学生に対して体罰を加えたことに寄せて、上の記事を書いたようです。

 私も、子どもたちいやすべての人に「暴力という最終手段がある」と思ってほしくありません。人が何か意志決定する際に暴力の影響が考慮されず、自らの内発的な動機で行動が促される人が増えて欲しいと思っています。

 今暴力のことは脇においておきます。
 人が自らの内発的な動機に促されていくように人は育てられるのが好ましいと述べましたが、ふと思ったのが、もしそういう人がどんどん増えていったときに世界はどうなるだろうかと想像してみました。社会全体でなくても、少なくとも自分の周囲においてです。

 家族であろうと知人であろうと、お互いが尊重しあい、愛や共感によって人は結びつくでしょうが、そういう世界というのは、もしかしたらマンダラで示されている世界なのではないかという考えがよぎりました。(こちら

 マンダラの中心には仏としての自分がいるのですが、自分の周囲にも仏としての他者がいる。マンダラというのは、そういう暴力が影響を及ぼさない平和な世界の象徴なのではないかという気がふとしました。

 これを読んでいる方にマンダラあるいは密教に詳しい方がいらっしゃるでしょうか? 私はマンダラも密教もほとんど知りません。それらに詳しい方から見れば、私の考えは単なる思い付きに過ぎないでしょうが、単なる思い付きであっても、自分なりにマンダラが理解できたようで、ちょっとした納得があります。

 今は国際政治においても、国内のさまざまな場所においても、大小さまざまな暴力が人々の意識に影響を与えています。たとえゆっくりとでも、平和な世が近づいてきて欲しいと願っています。