人格形成

多くの人が多くのことを成し遂げます。しかし人々が時代を越えて語り継ぐのは人格の卓越した方々です。悪いことをした人々や強欲な人々をわざわざ語り継ごうとする人はいません。そういうことがあったとしても、それは反面教師としてです。

教育の目的は人格形成です。日本の教育基本法にもそう書かれています。人格は、体、心、知性、識別、感覚などを正しく用い、人生を生き抜く力をもたらします。教育とは、ほんの少しだけ頭の中を回転させることではありませんし、記憶力を競うものでもありません。徳を備え、自立した生活を営み、社会に貢献できる人を育てることを教育は目指さなくてはなりません。人格形成によってそれは可能になります。

人格形成の王道は、善いことを思い、善いことを行い、善いことを語ることです。思いと言葉と行動の一致こそが人格を意味します。これに対して罪深い人間は、思いと言葉と行動がバラバラです。

日本人の少なくない数の人が、自分の思いを抑えつけて生きているのではないかという気がします。日本の教育制度やしつけには良い面もあるのですが、「ああしたらいけない、こうしたらいけない」と子どもの行動を細かく批判することがあると思います。そのためだと思うのですが、若い頃から「あれはしてはいけない、これはしてはいけない」と自己規制することになります。

私は規律は重要だと思っており、無制限な自由は子どもの成長にとって好ましくないと思っていますので、子どもが好き勝手に振舞うことは許容できません。しかし、子どもが「ああしたい、こうしたい」と何かを提案したり意志を示したような場合には、それをさせてみることは望ましいと思います。良いアイデアがあれば、まずそれを実行してみる。そして、その結果から学ぶようにする。この一連のプロセスを繰り返すことで子どもは成長すると思います。

子どもの成長だけでなく、大人自身も人生に変化をもたらしたいと思っているときは、思っていることを実行してみるのがいいと思います。思っていることを実際にやってみて、やったことをほかの人に語る。このことを繰り返すことで必ず変容が生じます。

思っていることを行うということは、内にあるものを外に向かって表現するということです。これを通じて、次第に自分の内側に尽きぬ泉があることに気づいてきます。この内なる泉に気づくことは教育の重要なポイントです。自信と満足が得られます。世界中に自信を持って人生を生き抜いている人がたくさんいますが、そういう人々は、幼い頃から思ったことを実行するよう促されてきたのではないかと思います。

学校で教えるさまざまな知識は、内にあるものを外に向かって表現する手段です。それは生活を豊かにし、他者や社会に奉仕し、質の伴った職業生活を営むためのものです。しかし、人格の伴わない知識、実践されない知識は、皮膚の表面に溜まった垢のようなものであり、感染症(社会悪)の温床になるだけです。

人格形成すなわち「善いことを思い、善いことを行い、その行ったことを善い言葉で語る」ということを、私も日々心がけています。そして、他の人が何かを試みようとしているときも、それを邪魔しないようにしています。1つの行動によって学ぶことは、100冊の本から学ぶことより多いかもしれません。