教育について思うこといくつか

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Ezequile Bartolomei


おいと暮らしています。私には自分の子どもがいなかったので、彼と接することでいろいろと思うことがたくさんあります。子どもというものは、大人の思うとおりに振舞うことがあまりないので、どのように接すればいいのか日々考えさせられます。

 おいは中学生です。中学教育は義務教育です。税金が使われて中学生皆に教育が施されています。教科書に目を通すことがあるのですが、基本的なことを学んでいます。あまり成績についてうるさく言わないようにはしているのですが、順位にはほとんど関心はないものの、内容に関して8割は理解して欲しいと思っています。それくらい理解すれば、国も納得してくれるのではないかと思っていますし、多くの生徒は、丁寧でしっかりとした継続的なサポートがあれば、そのレベルに達する気がするからです。

 勉強を見ることがあるのですが、わからないときはいろいろ説明しますが、最近は自分でしっかり自習できるようになってきました。しかし、引っかかりのある箇所では、なかなか理解できないことがあります。繰り返し繰り返し説明したり、問題を解いたりするのですが、根気のいる作業です。ずっとやってもどうしてもわからない場合は、飛ばすのですが、そんなときに思います。本当にこれは知っておかなくてはならないことなのかと。

 大人になったときには、最低限の常識と読み書き計算ができれば用が足ります。専門的な知識を必要とする人も多くいますが、小中高あるいは大学で学ぶことの多くが役に立っていないのが実情です。普段の生活と関わりのないことを一生懸命考えても、あまり身につきません。「存在は認識に先んずる」という言葉が好きなのですが、人は、生活に根ざしたことを学び、考えるのがやはり自然だと思っています。隣人や自分の住んでいる地域のことをあまり良く知らないで、遥か遠い外国のことを知ってどうするのかという気もします。英語も使う場がないので、単なる知識に過ぎず、使えるようになりません。場合によっては、学校で学ぶことは生徒に不自然な発達をもたらすのではないと思います。

 時間的に余裕がないので、国・数・理・社・英の5科目を中心に家では勉強しますが、美術や音楽、体育に技術・家庭で学ぶことも大切に思います。絵や写真を自分で描いたり、撮ったり、なにか楽器を演奏したりするほうが生活が豊かになります。体の発達も大切です。休みの日にときどき自転車に乗って一緒に遠出することがありますが、運動不足なので汗をかく貴重な機会です。料理や編み物、裁縫、日曜大工などもできていいと思います。

 幸いにも、教育をお金を払って「買って」いないので、おいは将来大きくなったときに、お金のために働くよりは自立して社会のために働くようになる気がします。親が子どもに教えるのは大変な面もあるので、成績を伸ばすために塾に通う生徒も多いようです。しかし、もし無料で勉強を教える場が増えれば、子どもたちの成長にとってずっといい効果があるし、地域でも歓迎されると思っています。

 実践されない知識は悪の温床になります。極悪犯罪をするようになるというわけではなく、ちょっとした不正を行ったり、知識で他の人や自分を誤魔化すようになります。微妙なエゴやプライドを満たしたりすることもあります。

 学習指導要領を見たことがあります。すばらしいことが書いてあります。それに沿った教育によって、これまで日本人の知識レベルが世界のトップレベルであったことは間違いありませんし、道徳性も身についてきました。それでも、今の教育はもう少し改善できるのではないかという気がしてなりません。

 人を育てることは、本当に大変です。それは効率的にできるものではありません。手間と愛情をかければかけるほど人は育つものです。人間性においても、知性の面においてもです。先生方の努力はなかなかうかがい知ることのできないものでしょう。家庭や地域が協力して子どもを育てていかなくてはいけないのだと思います。

 まず子どもたちに願うことは、人間性=人格です。そしてそれに加えて有能さです。日本は大きな課題をたくさん抱えていますが、人を育てなければ、それらは解決しません。子どもに接するようになって、教育の大切さを思うことが多くなってきました。