愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

霊的な喜び

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Sofi


さまざまな喜びがあります。まずは肉体の喜び。食欲、性欲、睡眠欲、安全欲が基本的な欲望・欲求だと言われますが、これらを満たすことは人生の喜びではあります。しかし、こればかりのために生きていても、時に虚しさを感じることもあります。人生は生きるために食べるのであって、食べるために生きるのではないからです。

 次に知的な喜びがあります。学問なども奥深いものであり、自分の関心のある領域について多くを知ることも喜びをもたらします。芸術の喜びもそうです。音楽やお芝居の楽しみから喜びを得る人もいます。ただ学んだり、鑑賞するだけでなく、自分で表現することも楽しみです。

 肉体的な喜び、知的な喜びとは別に、霊的な喜びがあります。例えば、母が子に自分を分け与える喜びはこのたぐいの喜びです。赤子に乳を含ませることは、私にはわかりませんが、母となった大きな実感を伴うと聞きます。家族に食事を与えることも喜びです。

 霊的な喜びは、与えることによって多くもたらされます。

 世界的な眼科の権威がいたそうです。彼のもとには世界中からVIPが手術を受けに来て、彼はそれに見合うだけの腕前と地位と、財産を持っていたそうです。あるとき彼は、貧しく治療費の払えない人々の目の手術に携わることになりました。それは、彼がこれまで関わってきた人々とは全く異なる階層の人々でした。彼はひたすら貧しい人びとのために目の手術を行いました。しばらくすると彼は突然、これまでに味わったことのない喜びが湧き上がるのを感じるようになり、目から涙があふれてきました。その喜びは完全なる無私の奉仕がもたらしたものでした。貧しい人々の心と彼の心が共鳴したのだと思います。
 このたぐいの喜びは、肉体の欲求を満たすことや、知的な発見からは得られるものではありません。

 私はホームレスの方と、細々とですが、10年近く関わってきました。私は心を突き上げるような湧き上がる喜びを感じたことはありませんが、彼らと人間的なつながりをもつことで、社会に対して正しく向き合っているという感覚をもっています。自分と社会は異なるものではなく、自分は社会の一部であるという思いを強く抱かせてくれます。より大きなものの一部であるという気づきは私に平安をもたらしてくれます。

 歳をとり過去を振り返ったときにまず思い出されるものは、肉体の喜びでも、知的な喜びでもなく、霊的な喜びだと思います。私などは、母と苦労を分かち合ったことによる静かな喜びは、心に深く刻まれています。困難を愛と忍耐をもって乗り越えたことは記憶に残りやすいと思います。

 霊的な喜びは、人間に生きる勇気と強さ、そして健康をもたらします。日本人はお金持ちになったはいいが、多くの人はこのような喜びをどこかに置き忘れたのかもしれません。もしこのような喜びを知っているのなら、もう少し違ったお金の使い方をしているはずだからです。

※ "Life is fragile. We're not guaranteed a tomorrow so give it everything you've got."-Tim Cook
「人生は壊れやすいものです。私たちに明日は保証されていません。ですから、手にしたすべてを与えましょう。」(ティム・クック:アップル最高経営責任者