種をまく

 甥と生活しているとよく思うのですが、教育というのは種まきが大部分ではないかという気がします。何かを教えて短期的なその結果ばかり求めていれば、ときに不満を抱くこともあるのですが、そうではなく、子どものハートに種を蒔いてそれがゆっくり育つように温かく見守ること、これが教育の9割を占めているように最近感じています。

 過去は木で現在は種でそして未来もまた木だといいます。現在というのは、過去つまり何らかの木から生じた種であり、そして未来つまりそれも木ですが、現在の種が大きくなったものです。私たちに与えられているのは、常に種=現在だけです。

 過去は私たちが振り返るときにだけ存在します。私たちが過去を思い起こさなければ、それは無きも同然です。それは郷愁を誘いながら、あたかも絵のように私たちの心の目に映ります。未来は夢です。現在の行いが花開く姿を想像し、私たちは未来を信じます。未来は現在を導くものです。

 子どものハート=大地に種を蒔くこと、私たちはそれによって子どもたちの未来に思いをはせます。親の子への期待、社会の子への希望、皆未来を思いながら、種まきをしています。

 人格の9割は人間的価値すなわち道徳や倫理、霊性で構成され、残りの1割が知識であるというようなことを聞いたことがあります。種まきもそれと同じように、価値=道徳、倫理、霊性を教えることに9割を注ぎ、知識は残り1割でいいような気がしています。知識は人格が備わっていないと活用されず、すべてが無駄に捨てられてしまうのですから。

 植物の種が大きく育つように、芽が出たばかりのころはきちんとそれを保護するように、子どもの心に種を蒔いたなら、それが子どもの人生に根付くように温かく守ってあげること、これが親や年長者の役割です。

 子どもは未来です。種まきこそが大切です。