愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

人生教育は体育

ちょっとしたきっかけで中学生(おい)と暮らしています。いろいろなことを話したり、教えたりするのですが、人の成長はゆっくりなので、実際に彼が私の言うことを吸収しているのかどうかなかなか表面からはわかりません。最初はそれに戸惑っていましたが、あせって怒りを覚えてはならないので、私もいろいろ考えながら慎重に接するようにしています。

人生教育は体育のようなものだと思います。学校の勉強はできればできたほうがいいのかもしれませんが、人間としてまず立派になってもらうことが肝心です。日々の生活の中でどのようにして生きていけばいいかを教える必要があります。ある意味、それは簡単です。手本を示せばいいのです。

社会の先生は黒板に地図を貼って地理を教えます。数学の先生は演習問題をとかせます。理科の先生は実験を通じて教えます。それにたいして体育の先生は、自分で実際に実例を示してそれを教えます。人生も一緒です。

子どもは大人の真似をします。大人のやり方を見て、こうすればいいのだと学びます。大人がしっかりとした手本を示している限り、子どもが間違った道に進むことはおそらくないでしょう。大人にとって難しいのは、手本を示し続けることです。会いたくない人が訪問してきたときや電話がかかってきたときに居留守を使わない。自分がお酒を飲みながら、子どもにお酒を飲んではならないと言わない。夫婦喧嘩をよくするのに、人と仲良くしなさいと言わない。大人は、真実を守り、食べ物を選び、対人関係を良好に保っていなければなりません。まさに体育の先生です。自分ができることだけ、子どもに自信をもって教え伝えることができます。

大リーグで活躍しているダルビッシュ投手の言葉が目に入りました。「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ (ダルビッシュ有)」。つねづね一流スポーツ選手には聡明な方が多いと思っていましたが、やはり頭を使って練習しなければ、なかなか向上しないのだろうと思います。
私は相撲が好きですが、将来を期待されている有望な力士たちは皆一生懸命稽古に励んでいるようです。しかし、いつまでたっても期待はずれな成績しか残せない力士は「頭」を使って稽古していないのかもしれません。

子どもに繰り返し手本を示したあとで、「こういうときはこうする、ああいうときはああする」と簡潔にわかりやすく説明してあげると、子どもはさまざまなことを行う際の哲学を学ぶことができます。それは、「頭を使って練習する」ことにつながります。そして子どもは一層成長していくように思います。哲学だけでなく科学を教えることもできます。飼い犬の飼い方を教える際に生物を教えることもできるし、買い物の際には会計や社会の仕組みを教えることもできるでしょう。もし親に外国人の知り合いがいたならば、他国の文化を伝えることもできます。 

大人にとっても人生を学ぶプロセスは一緒だと思います。手本を示す人から学ぶのです。「体育」は数学の先生や国語の先生からは学べないのです。

おまけ)”What I cannot create, I do not understand."-Richard Feynman
「作り出すことができないものは、理解できません」-リチャード・ファインマン(物理学者)