世界から学ぶ

観察と思考こそは、それが意識化されたものである限り、あらゆる精神行為の二つの出発点である。どんな常識的な判断も、どんな高度の科学研究も、我々の精神のこの二つの柱に支えられている。-自由の哲学-(シュタイナー)
ルドルフ・シュタイナーのことはあまり知らないのですが、彼の言葉には心惹かれるものがいくつかあります。上にあげた言葉も、当たり前と言えば当たり前なのですが、含蓄のある言葉です。

観察は大切です。現代科学はとても複雑ですが、やはりこの観察が基本です。宇宙論素粒子論も特殊な実験を通じて観察された現象に基盤を持っています。社会科学もそうだと思います。現実に即したさまざまな記録や指標を通じて社会を見ようとします。あるいは、町を歩いて、直に世の中を見ます。人間を知るには、行動や思いを観察します。子どもは大人の行動を観察して、そこから学びます。

私たちは何かを観察しようとしても、何が見えるかは人によって異なることがあります。たとえば、りんごが地上に落ちるのを見て、そこに引力を見る人と見ない人がいます。何かを見たとき、そこには想像以上の情報があります。私たちは何かを正確に見ているつもりでも、心(マインド)越しにものを見ています。観察は簡単なようで、難しいと思います。私は自然に恵まれた環境に住んでいますが、そこから受ける印象はかなり大雑把です。

観察されたものを対象として思考が始まります。対象を分析したり、何かの要素と要素を結びつけて考えたり、あるいは、そこから価値を引き出したりもします。思考は何かの対象を必要とします。私たちは感覚器官を通じて得たものを思考の対象とします。観察はイメージを豊かにし、思考は概念をもたらします。これらによって形作られた知識形態を認識といいます。イメージと概念と現象の一致こそが真理だとカントは言いました。

私たちのハートと時間は私たちにすべてを教えてくれる教師であり、この世界は無限の経典だといわれます。現代の学校教育では、ほんの少しばかりの書物を学びますが、人間は世界という無限の書物から学ぶべきです。自然科学、社会科学だけでなく、人文科学も観察と思考によって、発展してきましたが、道徳や宗教も世界の観察から誕生しえます。

例えば、空に浮かぶ雲や川を流れる水にはまったくためらいがなく移動していきます。私はそこから無執着を学びます。アリやハチは皆がひとつに協力し合い、助け合って共に生きています。そこから一体性を学ぶことができます。太陽は一瞬も休むことなく世界を照らし、熱と光を与えてくれます。そこから奉仕と犠牲を学びます。

日本では古来、あらゆるものに神性を感じ神話を作り上げてきました。人間は世界から宗教を引き出してきたのです。イエスキリストの行動から学んだ人々はキリスト教をもたらしました。私たちの知識のほとんどすべては世界からもたらされています。

世界は無限の知識をもたらしてくれます。書物の知識は過去の知識ですが、新しい知識はいつも世界からもたらされます。新幹線の流線形はカモノハシか何かから学んだように、ウイルスからも1枚の葉っぱからも、私たちは何かを学べるでしょう。世界が必要としている商品・製品も人々の生活を観察することで、そのヒントが得られます。

私はこれまで書物から学ぶことが多かったので、世界から学ぶことにはまだ慣れていません。子どもに戻ったような気持ちで改めて世界から学んでいくことを始めたいです。

今日の言葉)"What would you do if you weren't afraid?"-Mark Zuckerberg
「あなたに怖れがなかったならば、あなたは何をしていましたか?」(マーク・ザッカーバーグ