愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

意志をもつこと

半年くらい前だったか、人に聞いた話があります。何かいろいろ問題を抱えて悩んでいる人がカウンセリングを受けるとき、まずは自分の話をカウンセラーにそのまま受け止めてもらい、丁寧に聞いてもらうことが第一ですが、それだけではその人は回復に向かわないそうです。問題、悩みを抱えている人が回復に向かうのは、その人が意志を持って何かを行うこと、人生において前へ一歩進もうとしたときだそうです。そうなのかと思いました。

私も過去悩んでいた時は、いつまで悩んでもなにも状況が変わらないことがわかったので、とにかく小さなことでもやってみようと思いました。何かを行っても、すぐに状況が変わったようには思えなかったのですが、それでも前へ進んでいると、状況や問題が解決したかどうかは別として、自分の気持ちが次第に軽くなり、問題自体があまり大したことがないように感じだしました。

数ヶ月前のこのブログでも、人格形成の基本は、「善いことを思い、善いことを行い、行ったことを語ること」だと書きました。思いと行動と言葉の一致が人格です。この、思ったことを行うということは、意志をもって前へ向かうということでしょう。

コミュニケーションは日本語で意志疎通と訳されることがあります。コミュニケーションは単なる情報の伝達ではなく、意志を伝え合うこと、お互いがそれを受け止めることです。

このブログは、哲学的な面もあり、道徳的な面もあり、宗教的な面もありますが、このブログでテーマにしているようなことを勉強する会に私は定期的に参加しています。このようなテーマは抽象的でなかなか言葉で表現することが難しく、また人によってさまざまな見解が出るので、勉強会では頭をかかえることもたまにあります。

そのような勉強会で、例えば「良心の促し」というテーマを取り上げた時、自分の経験をもとに人は何かを語ります。勉強会が終わる時に、良心の促しに関連して、各人が何らかの意志をもつことができれば、その勉強会は成功です。そして、各人が意志をもち、お互いがそれを尊重し合う時、グループはそのテーマ(ここでは「良心の促し」)を通じて“一つ”になることができます。

意志をもつことで、状況に対する責任も生じてきます。責任(responsibility)とは、問題が起こったときに賠償や償いをすることではなく、状況に対して肯定的に対応(respond)することです。いやいやせざるを得ないことに対して、人は責任をもとうとはしません。

人生とは多くの可能性の中から選択を繰り返していく作業です。人生は短く、成し遂げることはほんの僅かです。私は人生の折り返し地点を過ぎましたから、やることをしぼり、しっかり意志をもって残りの人生を生きなければいけないなと最近ことに思っています。


おまけ) Perfection is achieved not when there is nothing left to add, but when there is nothing left to take away"(Saint-Exupery)
 (完璧は、加えるものが(残されてい)ない場合ではなく、取り去るものが(残されてい)ないときに達成されます。サン=テグジュペリ