愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

現代社会

私の好きな話があります。

「カラハスティの大きな寺院建立にまつわる話があります。寺院は聖者アガスティアにより伝統に従って建てられました。バラドワジャもそれを手伝いました。
アガスティアは川堤に腰を下ろし、人夫をひとりひとり呼び出しました。かれの指図に従い、二人の聖者は川底からすくった砂を人夫の膝に投げてやりました。それが一日の日当だったのです。さて、その砂は人夫のその日の働きに応じ、働いた分だけ金にかわりました。多く働いたものは多くもらい、少なく働いたものは、分け前が少なかったのです。一日中何もしなかった人夫には、砂は金とは変わりませんでした。
そこには何の不正もなく、えこひいきも不平もありませんでした。人夫はすべて一切を見通すものの御前で働き、神の与えたもうものを受けるのです。」

仏教では、功徳という言葉を用いますが、ここにあげた話は功徳について述べているようにもとれます。

現代社会においては、一生懸命働いても収入が少なかったり、逆にあまり働かなくても多くの収入を得る人がいます。同一労働には同一賃金を支払うべきだといっても、正社員と派遣労働者、パート労働者で大きな差がつくことはしばしばです。皆が完全に満足できる制度にすることは難しいかもしれませんが、まだまだ改善の余地は多いように思います。

インターネットでさまざまな情報に目を通したり、優れた分析を行っている書籍などを読んでいると、時に現代社会で起こっていることが奇妙奇天烈で、言葉は悪いのですが、あたかも茶番のように見えてくることがあります。少なくない人が真剣に仕事をしているのは分かっているのですが、ほとんどすべてがうまくいっていないように感じます。

だいぶ前ですが、『フォレスト・ガンプ』という本が出版され、映画化されました。私はこの話がとても気に入っています。とても心をうつ真実味のある本で、あたかも現代のおとぎ話のような本でした。私はこの本が現代社会を風刺しているように思いました。

真理とダルマ(正しい行い)だけが勝利すると言われます。多くの人が現代社会の風潮に流されつつ、一生懸命生きているのですが、私たちが結局自分のものとして手にすることができるのは、最初の話に取り上げたように、誠実に喜んでなされたきよらかな仕事の結果だけのように思えます。

私はこれまでほかの人よりも政治に関心をもってきたと自分で思っていましたが、ここ数カ月のうちに、ほとんど完全に政治を見限るような心境になってきました。もちろん投票には行きますし、政治には可能性があることは知っているのですが、しかし、実際に社会を支配しているのは真理でありダルマであるとの確信が強くなってきました。

神はすべてをご存知で、神によって私たちの仕事は正当に評価されています。