彼は言っています。「ときどき、宗教は消えようとしている、霊的な思想はこの世界から消え去ろうとしている、と言われます。私には、それらはたったいま、成長し始めたばかりである、と思われます。宗教の力は、広げられ浄められて、人間生活のあらゆる面に浸透しようとしているのです。」
人間に宗教は欠かせないものです。遅かれ早かれ人間は自分を越えた力の存在に気づくときがきます。そしてそれは人間の感覚や知性を越えたものです。私たちの多くはそれを神と呼びますが、人々は神とは何か、人間とは何か、私たちはどう生きるべきなのかなどという問いに直面します。これらの問いを通じて人間は霊的な道を歩むようになります。
宗教の4分の3は人格だと思います。人間性の向上をもたらさない宗教はまったく存在価値がありません。残りの4分の1が教義や儀式です。私は宗教が人格形成に資するものであるということを知らない時期、さまざまな宗教のさまざまな教義に拒絶反応を示していました。またあまりにも自分たちの宗教の正当性を強調するあまり他宗教に対して排他的であったり、批判的である宗教のあり方に嫌気を感じていたこともあります。しかし、宗教の中心をなすものが人格であることを理解して私は宗教を受け入れるようになりました。
ある宗教が本物かどうかを見分ける簡単な方法は、その信者たちの行動を見ることです。言うことはほとんど無視してかまわないと思います。言うことを本当に実践しているかどうか、これがある宗教が本物かどうかを見分ける試金石です。インドはヒンズー教徒の多い国ですが、彼らの多くはマザーテレサの愛を見て、彼女の宗教は本物であることを認めました。一方、オーム真理教は信者の行動を見れば宗教と呼べるものでなかったことは明らかです。
スワミヴィヴェーカーナンダはこうも言っています。「現代においてさえ、ほとんど同じ思想を抱いているのに、それを相手とまったく同じ形では発表したくないものだから互いに争い合っている、多くの宗派や協会が見られます。それゆえ、宗教は広がらなければなりません。」すべての宗教が愛や慈悲を説いています。すべての宗教が人を傷つけてはならないと教え、人を助けなさいと教えています。すべての宗教が人間の力を越えた超越者は人間に対して好意的であると説いています。これらのことを理解して、宗派の枠を越えた協調がはかられたときこそ、21世紀は宗教の時代になるのではないかと思います。
世界中のすべての川は同じ一つの大海へと流れ込みます。それと同じようにすべての宗教は等しく至福の大海へと人々を導きます。「大海は一つだから、さまざまな川は必要ない」とは言えません。すべての宗教が必要です。現代の経済社会においては、人々の多様なニーズを満たすためにさまざまな商品が開発されていますが、人々の多様な霊的ニーズを満たすために、すべての宗教がその本来の命を取り戻すことが期待されています。
すべての宗教がバイオリンやギターの弦のように調和したとき、世界は妙なる音楽を奏ではじめることでしょう。神は決して宗教で人を差別しません。人が宗教で差別するのです。