愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

分かち合い

「自分の手に入れたもののすべてを常に4,5人の人々と喜んで分かち合いなさい。」
これは、私がいつも心の片隅においている言葉です。自分の手元にあるものをすべて自分のために用いるのではなく、何らかの形でそれらを分かち合いたいのです。

お金は血液にたとえられます。血液が体を循環していなければ、体は機能しません。循環することを通じて、血液が酸素と二酸化炭素を交換することで体はバランスを保っています。それと同じように、お金は社会を正しく循環しなければ、社会はいびつなものになります。

私たちはお金を通じて2つの側面から社会とかかわりをもつことができます。一つはお金を手に入れる過程で、もう一つはお金を使う過程です。その両方の過程によって私たちは社会をよりよいものにすることができます。まずお金を稼ぐ際、手にする金額に見合った仕事をすることで社会の発展に貢献することができます。次いで、衣食住に必要な費用を差し引いたお金を社会への奉仕に使うことで再び社会へ感謝を捧げることができます。

現在世界のほとんどの国が財政上の問題を抱えています。これは人々がお金を自分のためだけに使っているからだと言われています。国のために働く人がほとんどいないから国は借金をしてまで行政サービスを提供しています。私たちが収入の少なくとも数%を社会奉仕に用いたとすれば、国の財政は少しずつ改善していくでしょう。財政上の問題だけでなく、私たちが自分のお金をもちいて社会の問題に直接関与することで、私たちはそれらをコントロールすることができ、真の意味で市民が社会に責任をもつ民主的な社会となるでしょう。民主主義とは政治的な制度のことではなく、このように社会の問題を市民がコントロールしている社会のことだと思います。

私もできる限り自分の手元にあるものを他の人々と分かち合うように心がけています。例えば家庭菜園で野菜などを少し作っていますが、近くの兄弟におすそ分けしたりすることがあります。ちょっとした時間があれば、編み物をすることもあるのですが、自分に必要なものだけでなく、親族のものを編んだりしていますし、これからは社会的により困った方々のためにも何か編むつもりでいます。パソコンの操作があまり得意でない人のために、自分のパソコンで様々な資料を作ったりすることも時々ありますし、ホームレスの人に食事を提供することもあります。今は諸事情で行っていないのですが、将来事情が許せば、家のあいた部屋を学生さんの下宿用に無料で提供できないかなとか、近所の小中高校生のために無料で塾を開くのもいいなと考えることもあります。

日本を代表する物理学者の湯川秀樹博士は中間子論というもの説きましたが、これは中間子という粒子を通じて物質が強固に結びつくことができるというものです。私たちの社会も富を多く分かち合えば分かち合うほどお互いのつながりが強固になり、それを通じて次第に社会が一つになっていくと思います。