理解について

「この世の何ものも恐れてはいけません。ただ理解しさえすればいいのです。」(キュリー夫人

 幼いころからいろいろな人に「他の人を理解しなさい」と言われてきたような気がするのですが、私にはこれが簡単にできなかったようです。過去の私は、読んできたものやつき合う仲間の影響によるものかもしれませんが、批判的な物の見方をしていました。目の前の状況に対して、それが自分に害を与えるものでなくても、あるいは益を与えるものでなくても、いつも斜に構えていたように思います。これは理解と言えるようなものではありません。目の前の状況や目の前の人を理解するには、可能な限り在るがままに見るようにしなくてはなりません。

 「人を愛を持って理解しなさい」といわれますが、私は善悪の判断を抜きにして、相手の特徴や欠点、長所、能力、傾向、態度などを、細部を含めてそのまま受容するようにしています。画家は絵を描くとき細部まで気を配ります。歌手は歌を歌うとき発声や音程の細かいところまで気を配ります。それと同じように、相手を理解するときは、相手の特徴をきちんと理解するように努めるようになってきました。

 人間を理解するとき、まず基本となるのは自己理解です。自己理解の程度に応じて他者理解もできてきます。善悪の問題、是非の問題、個性の問題等を含め、人間に対する理解が進めば、他者への理解も進みます。

 また、理解は、人間理解だけでなく、状況の理解や自然環境の理解も大切です。現在の環境破壊は、人類の自然理解が適切でないことを示しています。

 理解とは受容のことです。すべてを受け入れることができたとき、人間には恐れるものがなくなります。恐れるものがなければ、決して何ものをも傷つけることはありません。非暴力に関してはガンジーの手本がありますが、ガンジーは民衆を徹底的に理解した方でした。