愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

投影

 数十年前からたまに耳にすることがあった「投影」という言葉。今取り上げるのは心理学用語である投影です。この言葉を扱った文章はなかなか複雑で若い頃はなかなか理解できず、長い間放っておきました。しかし最近ふとしたきっかけで投影とはこういうもののことかなという気づきがあったので、それについて今日は書きたいと思います。

 ウィキペディアで投影の定義を確認しておきましょう。
「心理学における投影(とうえい 英:Psychological projection)とは、自己のとある衝動や資質を認めたくないとき(否認)、自分自身を守るために、他の人間にその悪い面を押し付けてしまう(帰属させる)ような心の働きを言う。これには責任転嫁(Blame shifting)が含まれ、例えば習慣的に失礼な振る舞いをしている人は常に、他人のことを失礼な人であると非難することがある。一般的には悪い面を強調することが多いが、良い投影も存在する。」 

 一方私の師はしばしば反映、反動、反響(reflection, reaction, resound)という言葉を用いることがあり、これに沿った精神科医(Dr. Samuel Sandweiss)の臨床への実践はここに記されています。
 Swami teaches about, "reflection,reaction,resound," which means that all we see in the outer world is only a projection of our own inner self. Psychotherapists understand this teaching as they see that patients project onto them feelings that belong to other relationships. This projection is called transference.
(スワミは反映、反動、反響について教えていらっしゃり、これは私たちが外の世界に見るすべてはただ私たちの内なる自己の投影に過ぎないことを意味しています。心理療法家たちは患者たちが他の人間関係に属する感情を彼ら(心理療法家たち)に投影するのを見るときこの教えを理解します。この投影は転移と呼ばれます。)
 ここでは外界に見るものすべてを投影と呼んでいます。

 簡単にいえば、サングラスを掛けていれば、外界はサングラスの色に見えますが、外界にその色がついているわけではなく、自分がサングラスを掛けていることに外界の色の原因があるということ、これが投影です。サンドワイズ博士は、患者が彼の感情を自らに投影してきた時、冷静に対処できるためには霊的な実践が役に立つということを書かれています。

 二人の未熟な人間がお互い相手に悪い感情を投影し合えばどうなるでしょうか? おそらくはきりのない非難の応酬になります。たちの悪いことに、「相手の内に悪いものを見るのはあなたの内に悪いものがあるからであって、そもそもあなたが悪い」という類の論理を展開する人までいて、これには閉口してしまいます。投影は無意識のものが多いと聞きますし、それを適切に扱うことができるのは訓練を受けた心理学の専門家だけなのかもしれません。私は個人的にはそういう非難の応酬からは離れていたいと思います。

 心理学的にそれを治療するのはなかなか骨の折れることなのかもしれませんが、自分ができる限りこの投影を行わないでいれるための気付きがありました。それは知性に関する理解です。知性は何かを探求するときに用いる道具です。これは感覚できないものを映し出す手鏡のような役割を果たします。それは自らの欠点を理解し、自らの内面を探求する道具なのですが、私を含め人はこの知性を他者や外界にあるものを探求する際にも用いてしまいます。他者を知性でもって調べれば、他者の内に欠点を映し出すことがあるでしょう。しかし本来知性というものは、自らの内面のみを探求する道具であって、他者や外界を探求することを意図されていないのではないかということです。

 つまり本来は自らの内面のみを探求することを目的とする知性を他者や外界に誤って向けてしまうことが投影をもたらしているのではないか、と思うようになったのです。

 この論理でいえば、外界の探求を行う自然科学も投影です。そこには善悪が含まれていないことはしばしばですが、しかし自らの思考の枠組みを投影しています。
 他者が悪いという時、自らには同じ欠点がなくても、他者を裁くために自らがかかえる善悪の枠組み自体は非難する人の内にあります。

 外に見るものすべては投影。他者の非難という悪い面もあるけれども、投影の仕組みを知っていれば、思わず外界に何か気づくものがあったときに、それが自らに内在するものだと理解することができるかもしれず、そういう意味では必ずしも投影は悪いことではないのかもしれません。そして思うのですが、投影をまったくしない人は世界自体を認識しないのかもしれません。