愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

規律の大切さ

規律は大切なものです。私は規律がなければ人は生活の方向を失うと思います。人は毎日起きる時間が決まっており、食事をとり、仕事に行ったり、家事にいそしみます。これら生活はすべて規律が表現されたものです。歯を磨くという習慣、入浴するという習慣、これらはすべて私たちの生活を形づくっています。

 サッカーは手を使わないというルールがあるから面白いのです。ラグビーは球を前に投げてはいけないといるルールがあるから面白いのです。車を運転する上で、制限速度は信号を守るという規則があるから皆が安全に目的地に到達することができます。

 人間の血圧は120・80であり、それを大きくはずれると健康な状態ではなくなります。耳はあまりに大きな音を聞くと聞こえなくなります。目も一定の範囲内の波長の光線だけしか見ることはできなく、制限があります。この世に生きている限り、ものにはすべてこのように制限、規定があります。

 会話もほどよいものであって心地よいものとなり、味も辛すぎず、甘すぎず、酸っぱすぎず出会って、私たちは美味しく食べることができます。

 会社やその他組織にもすべて規律があります。

 規律は人の自由を制限するものでしょうか? そうではありません。それらは人生という川が海まで流れるための両岸の堤防のようなものです。規律という堤防がなければ、川という人生は氾濫し、大きな被害が生じます。

 また、日本の昔からの教育方法として型を身に付けるという考え方があります。型にはめるとよく言われますが、方はそれ自体に価値があるのではありませんが、型は重要です。型を通して人間は内に秘めた可能性を引き出すことができるからです。人間は内に秘めた力を十二分に引き出すことができて初めて型を崩し、新たな自分なりの表現を打ち立てることができるようになります。

 宗教とは霊的な原理のいくつかを通して自己実現をはかるものです。科学はいくつかの原理を選択して、論理を通して理論を組み立てたものです。世界にはさまざまな行動原理にしたがっているさまざまな人々がいますが、それらの行動原理のありようこそが文化と呼べるものです。そして、人間こそはこれらのすべての原理を生み出すことのできる原理の中の原理です。インドではこの内在の神性原理をガネーシャと呼んでいます。

 教育においては愛と規律が重要だと教わりました。子どもを木の小さな芽にたとえると、その芽に水や肥料を与えることが愛です。規律とは、その芽が他の動物に食べられないようにするための柵のようなものです。規律は、幼い子が大きくなるまで必要なのです。子どもは守られなければなりません。木の芽が十分に成長して大きな木になってしまえばそれを覆う柵は必要ありません。芽が小さなときにはそれを食べようとしていた動物たちは、今度はその木の許に憩いに来ようとします。

 子どもたちは自由気ままに育てられるべきではありません。好き勝手にしていいよと言われて子どもたちは喜ぶでしょうか? 子どもたちは困惑してエネルギーを浪費してしまうでしょう。子どもたちには、大人たちが必要な手本を示して導いてやった方が楽なのです。健康的で善良な規律を早くから身に着けさせた方が、子どもはどんどん成長していきます。

 規律こそが自己実現にとっての王道だと言われています。