愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

師について

 人間にはどのような領域においても師は必要だと思います。学校で勉強するときも、先生に教わります。学校に入学する以前の乳幼児期には、親から言葉や基本的な生活習慣をはじめ、多くを学びます。

 私にとって、親は良きにつけ悪きにつけやはりいろいろなことを教えてくれました。そして家庭からより広い世界に進んでいったとき、私は人生の師を必要とする状況におかれました。

 私は人生の師に約20年ほど前に出会いました。私の師は口数の少ない方でした。多くを問いかけたのですが、いつも沈黙していました。しかしいつも微笑んで、優しい眼差しで導いてくれました。私がその師にであったとき、直観的にその人が師であると思いましたが、やはり最初は私の無知によりその方に関して様々な不満を持ちました。しかし、私はその方を師としてよかったと思っています。

私が強さを願うと、神は克服すべき困難を与えてくれた
私が叡智を願うと、神は解決策を学ぶべき問題を与えてくれた
私が繁栄を願うと、神は使うべき頭脳と筋力を与えてくれた
私が勇気を願うと、神は乗り越えるべき危険を与えてくれた
私が愛を願うと、神は助けるべき困窮者を与えてくれた
私が好意を願うと、神は機会を与えてくれた
私は何も受け取らなかった―欲しかったものは何も
私はすべてを受け取った―必要だったすべてを
私の祈りは答えられた(作者不明の詩)

 これは私の好きな詩の一つですが、この詩になぞって言えば、私は師にいろいろなことを教えてくださいと求めたのですが、何も教えてくれませんでした。しかし沈黙と優しい眼差しを通して私は多くを学びました。また師が沈黙していてくれたおかげで、私は妄信や狂信に走ることもありませんでした。

 母と子の関係の多くは甘美なものですが、良き師と弟子の関係も同じく甘美なものです。
 歴史とは単にいつどのようなことがあったということではなく、脈々と人から人へと伝えられる文化や伝統の束なのだと思います。多くのものが伝えられ、引き継ぐもののいない多くのものが消えていきます。この特殊な個別的なつながりこそが社会を作っています。