運命について

運命について多くの人はどう考えているでしょうか? 私は運命というものはあると思っています。人生で起こるべきことは必ず起こるし、出会う人も大体決まっていると思います。それは、この世界を舞台に見立てたとき、筋書きと登場人物があらかじめ決まっているということです。

 人々は自由について語ります。しかし世間で言われている自由とは何でしょうか? それは感覚対象への従属と心(マインド)の放逸の追認でしかないように思います。つまりおいしいものがあれば食べたい、あの映画が見たい、このことについてこだわりたいとかいうようなたぐいです。このようなものは普通の動物が味わっていることです。

 運命は積極的に活用すべきだと思います。たとえば、今日誰かと会うように決まっていたとき、その一つ友好的な会話をすることもできれば、批判的な議論をすることもできるでしょう。せっかくの出会いをどのように活かすかは自分次第です。あるいは、何かの事故に遭い、けがをしたが大事に至らなかったというような場合、自己にあった、原因をしっかり反省し、今後の生き方に役立たせることもできますし、逆に自分は運が悪いとふてくされて、やけを起こす人もいるでしょう。

 物事は、行為と時間と原因と道徳規範が組み合わさって起こるという意見を聞いたことがあります。これはどういうことかというと、まず行為とは、私たちが日々おこなっているあらゆる行為のことです。呼吸すること、食べること、歩くこと、眠ること、仕事をすること…あらゆることが行為です。物事が起きるには、私たちの行為が欠かせません。次に時間とは、物事はランダムに起こるのではなくて、相応しい時間に起きるということです。時が熟さないと何も起こりません。原因とは、因果の道理のことです。仏教では善因善果、悪因悪果が言われていますが、そのように、行為というものは、その結果を伴うということです。物事が起こるためには、それにふさわしい原因がたちあらわれ、それに引き続いて起こるということです。道徳規範とは、物事が生じたとき、それに対して、必ず道徳規範の側からどう対処すべきかの促しというか、指針が存在するということです。

 このことをもう少し具体的な例で考えてみると、たとえば道を歩いていてすぐ目の前の人が倒れたという場面を考えます。道を歩いていたというのが行為です。時間とは、他のときではなくまさにそのときにそのことが起こったということです。原因とは、倒れた人に体調の不良があったということです。道徳規範とは、その場においてその人を助けるようにとの良心の促しがあるということです。出来事とはすべてこのようなものです。

 このように考えると、運命とは、人々が道徳規範に従い、それを実践できるように仕組まれた驚くべき摂理ということができます。鳥や動物、魚たちは本能に従って動いています。しかし、人間はまさに道徳の生き物といえます。人類は万物の霊長と言われますが、それはこのことを言っています。道徳(morality)に従うものは、不滅(immortality)に達することができると言われています。人間は運命を活用すべく生まれてきた存在だと私は思っています。