結果を求めない行為 ーvalue oriented

 『バガヴァッド・ギータ』の主要な教えの一つに、結果を求めずに行為することがあります。これはカルマ・ヨーガの核心ともいえるものです。例えば次の詩句があります。

 行為の結果への執着を捨て、常に充足し、他に頼らぬ人は、たとえ行為に従事していても、何も行為をしていない。(第4章20節:岩波文庫
 Having abandoned attachment for the fruits of action, ever content and dependent on none, though engaged in action, yet he does nothing.(パラマーナンダ訳)

 日本語訳も英訳も同じ意味です。行為をしていても何も行為をしていないとは奇妙な論理ですが、私はこれを、善因善果・悪因悪果の行為の連鎖から自由でいれるというように捉えています。

 私はそれほど行為の結果にこだわることなく行為をすることが可能なのですが、聞けば、行為の結果を求めずに行為をすることなどできないと思う人もいるようです。そのように行為の結果を求めずに行為をすることに困難を感じる人のヒントとなるかもしれない言葉に最近出会いました。

 value oriented(価値志向)とgoal oriented(目的志向)という言葉です。

 goal oriented(目的志向)はその名の通り、結果=目的を求めて行うという意味です。企業活動などを含め、世の中には目的が示された活動というものは多くあります。それに対してvalue oriented(価値志向)とは、行為に価値を与えるということです。わかりにくいかもしれませんが、簡単にいえば、倫理的道徳的行為のことです。行為とは心(思考)と舌(言葉)と肉体の活動が総合されたものですが、その行為に価値valueを与えるとは、心と舌と肉体を正しく用いるということです。

 この世のすべての価値は人間が与えたものです。金(きん)は人間が精製したがゆえに価値をもちました。野菜は人間が手間を掛けて育てたがゆえに人間の食物として人々に行き渡ります。電化製品も金属に人間が価値を与えたものです。それと同じように、人間の心、舌、肉体に価値を与えたもの、それが倫理や道徳といえるものとなります。value oriented(価値志向)の行為とは、そのような倫理的道徳的行為であって、モノやサービスの提供や日常生活が正しいやり方で遂行されたものです。

 行為をなすときにこのvalue oriented(価値志向)を心掛けていると、目的goalが意識の片隅に追いやられて、行為の結果に執着せずに行為に携わることができるようになるのではないかということです。

 行為の結果を求めないでいると、中には無為を選択してしまう人がいるかもしれません。無為=「行為をしないこと」は自堕落な生活につながってしまいます。それを避けるために、かつ行為の結果を求めないでいれるために、value oriented(価値志向)の行為を心掛けるのがいいと思われます。行為の質が上がります(結果を求めずともよい結果が帰ってくることもあります)し、行為の結果に執着するという自らの意識の束縛からも自由でいれます。