愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

全託4

 これも申し訳ないのですが、英語で全託(surrender)に関するアニメがあったので載せて見ます。多分英語がわからなくても何となくわかると思います。




 ある漁師が浅瀬で漁をしているのですが、浅瀬でしか生活できない多くの魚たちが漁師の網につかまってしまって、楽しい生活の中にも、恐怖を取り除くことができないでいます。誰もがいつ網にとらわれてしまうかわからず不安でいます。そしてどうやってその漁師の網から逃れていいか悩んでいます。しかし一匹、いつも心安らかに過ごしている魚(バブルという名)がいました。その魚によると、網から逃れる3つの方法があるといいます。まず最初に、海深くまでもぐる能力を獲得すること、次に、鋭い歯を発達させ、網にとらわれてもその網を噛み切ってしまうこと。しかし魚たちは浅瀬でしか生きられず深くもぐることは容易ではなく、まだ歯もそれほど強いわけではありません。それをうけ、3つ目の方法を述べます。それは漁師が来たときに、すばやく漁師の足元に近づくことです。そこだけが漁師の網から逃れることのできる場所だといいます。
 同じように、この世という世俗の大海の中で、(神が放り投げる)幻という網にとらわれずに生き残る道が三つあるといいます。(文字で説明されているモラル・教訓)まず第一に深くもぐること。それは英知の道です。次に自分の力でその網をくぐりぬけよとすること。それは行為の道です。そして最も簡単で最善の方法は、幻という網を投げかける神の足元に避難すること。それは帰依の道です。彼(神)の足元にひざまずいたもの(全託したもの)の世話をするのは、彼(神)の責任だとアンクルライオンは解説します。

 神(の御足)にしがみつくことの大切さをとてもわかりやすく説明したアニメです。日々の祈りにおいて神が身近にいると感じるとき、私たちの不安は減っているはず。この世(大海)の中で生きながらも、安らかで入れます。それは単なる気の迷いやごまかしではなく、神の懐、御足のそばにいるがゆえの真実の感情。幻(網)の影響から最も遠いところにいます。

 神が怖いと感じている人も中にはいますが、実際には神のそばが最も安全。そして実は最も自由な場所でもあります。

 英語のsurrenderという言葉は、降伏、明け渡し、放棄のような意味です。全託にはそのような意味合いもあるでしょう。しかし生きる方向性としては、神に少しずつ近づいていくことを意味しているように思います。その過程で、結果として頭に溜め込んだ余分で不要なものを放棄していきます。