愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

日本文化の芯

 最近はあまり聞くことはなくなりましたが、かつては日本のサッカーとか、日本流の英語とかそういう言葉をよく聞いた時期があります。私はテレビをほとんど見ないのですが、最近は日本のすばらしいところを取り上げた番組が多くあるとも聞きます。

 それはさておき、日本らしさとは何かということを多くの人が考え、私も考えていた時期があるのですが、今時点での私の結論としては、日本人らしさというものは実はないのではないかということです。

 他の地域の文化もそうですが、日本の文化もさまざまな地域の文化が時の流れの中で混交したもの。古代における大陸文化の影響、室町末期の南蛮文化、明治維新以降の西洋文化、北海道経由の北方文化や沖縄の文化などなど。それに古来の縄文文化弥生文化が入り混じっています。しいていえば、それらを調和的に取り入れ自らのものとしたところが日本らしさです。しかし芯となる日本らしさというものはいったい何なのでしょうか?

 明治政府もそれを模索していたでしょうし、現在の政治家の一部もそういうものを確立しようとしているかもしれません。過去には国体という言葉も使われたりしました。

 私は日本の芯は「無」あるいは「空」といっていいと思います。厳密にこの二つの言葉を使い分けているのではなく、これが中心にあると言葉で表現できるものがないという意味でこれらの二語を取り上げました。

 普通に日本の国に生まれ、普通に日本の社会で育てば、特に何を教わるでもなく、他国の人と異なった社会規範を身につけます。特別なことをしたり考えるまでもなくそれだけで十分に日本的です。これらの獲得したものを資産に、あとは自分を無にして、ただ身体と心と言葉の力を最大限に活用して、生きていくだけで十分に世界に通用する「日本的」なものが生まれると思っているのです。

 私はこれからそう生きるつもりでいます。変なこだわりや主義・主張もなく、自らの能力をただただ発揮すること、それだけです。

 他の国の人のことはよくはわかりません。もしかしたら、他の国の人もそうしているだけなのかもしれません。他の国の人は日本人ほど、国のアイデンティティにこだわらないとも聞きますし。

 21世紀はインドが重要な役割を果たす世紀になると聞きますし、また日本もやはりユニークな役割があると聞きます。日本に滞在するインドの外交官は印日関係が21世紀を定義するともいっていました。余計なことを考えなくとも、一人ひとりがただ最善を尽くすだけで、それは実現されるような気がしています。