フォロワーシップ

 今日は私が考えたこと、気づいたことを書くのではありません。どのような意味かよくわからないまま放置してきた問題の答えを新聞に見つけることができてうれしかったので、それについて書きたいです。

 私は愛読しているのですが、今年になって朝日新聞に折々のことばというコラムがはじまりました。哲学者の鷲田清一氏が長年気になって記録してきたことばを紹介するコラムです。そのコラムに1週間前にあったことばです。鷲田氏は「請われれば一差し舞える人物になれ」という梅棹忠夫さんのことばの解説の中で、リーダーシップについて次のように説明します。

 『リーダーの条件は、と問われて「フォロワーシップを経験し理解することやろな」と民族学者(梅棹忠夫)は答えた。優れた従者(フォロワー)とは、脱落しそうな人、過重負担になっている人がいないか、リーダーに代わって後方から目配りできる人』(鷲田清一

 優れたリーダーになるにはよきフォロワー、あるいは奉仕者にならなくてはならないという言葉をかつてから繰り返し聞いていました。そしてそれについて機会のあるごとに考えてきました。私はフォロワーとはリーダーの指示に従う人のことなのかなとずっと思っていました。しかし、それではどうもしっくり来なかったのです。ところが鷲田先生の解説では、フォロワーを「脱落しそうな人、過重負担になっている人がいないか、リーダーに代わって後方から目配りする人」と定義しています。これなら私にもしっくりきます。

 私は時々山歩きをしますが、リーダーは先頭を歩きます。サブリーダーはしんがりを歩きます。フォロワーとはしんがりを歩くサブリーダーのような人のことで、グループが一つになって歩み続けることができるよう配慮する人のことなのでしょう。

 今はリーダーの名に値する人が非常に少ない時代であって、導くことのない多くの名ばかりリーダーが存在しています。思いつきで部下に指示する人、何かあっても責任を取らず、場合によっては他の人に責任を転嫁する人、規律を他の人に求めながら、自分が規律を守らない人、すぐに怒鳴りちらす人、組織を導くにあたってビジョンをもたない人などです。私が知っている中にもそういう人がいます。

 リーダーの地位についている人の中には泥臭い仕事ができない人も多いと思います。脱落しそうな人、過重負担になっている人に目配りするような仕事、つまりフォローワーシップの経験があまりないのではないかと思います。人の心に寄り添うということがわからないので、高みから発言したり、自分の意見を押し付けることでしかコミュニケーションを取れない人もいます。これは嘆かわしいことです。

 リーダーとは集団を方向づける人のことです。意見が異なるのを前提としてそれをまとめあげる人のことです。人は一人では大した仕事はできないので、価値ある仕事をしようと思えば、集団で仕事をしなくてはなりません。その集団に目的と目標を示し、動機づけをしなくてはなりません。

 集団で物事を行うには規律が必要ですが、規律が何故あるかを知らないで規律を強調する人もたまにいます。規律は集団での仕事を阻害する要因から集団を守るためにあります。世の契約は何でもそうですが、そういうものは互いの信頼と善意を前提としています。リーダーはそのことについても知っておかなくてはなりません。

 フォロワーシップを知らない人は、自分が関わる集団についてあまり理解していません。一人ひとりの個性についても関心が無かったりします。集団に関する基本的な事実を押さえていないこともしばしばです。

 もしリーダーになりたい人がいるのならば、フォローワーシップをそのための訓練と受け止めて、泥臭い仕事、集団を下支えするような仕事に積極的に関わるのがいいと思います。きっと何かを学べるでしょう。もちろんすべての人がリーダーになりたいとは思わないでしょうから、すべての人がそういう仕事をしなければならないというわけではありません。またリーダーを選ぶ際には、フォロワーシップを理解している人を選ぶのが好ましいとも思うのです。