愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

愛と規律、愛が規律

 もう6日となりました。遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。ブログを定期的に更新してはいるものの、十分に手を回せない状況に少し気が引けてはいるのですが、今年も読んで下さる方々と良好な関係を築けるように努めていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

おそらく神の恩寵に他ならないと思うのですが、中学生の甥と一緒に暮らし始めて約2年。子のない私にとって、わずかながらでも子育ての一面を味わわせてもらった貴重な期間でした。甥は家を継ぐので、機会を見ていろいろなことを教えています。

 甥が幼い頃から付き合いはあったのですが、ずっと一緒に暮らすとなるとどう接すればいいか多少考えました。私は放任するタイプではありませんで、いろいろ関わりをもつようにこれまで気をつけてきました。小言も沢山言いましたし、自転車の乗り方を始め、料理の仕方、洗濯の仕方、地域の地理を教えたり、さらには勉強の面倒などを見てきました。過干渉にならずに、甘やかしにならずに、しかし関わりをきちんともつにはどうすればいいか、やはり苦労はありました。

 最近子育てを経験された年配のある方と話をしていて、「子育てで大切なのは枠をはみ出さないようにすることで、枠をはみ出さなければ自由に好きなことをさせておけばいいのではないか」と意見が一致しました。枠といっても、道徳的に人の道を外れない、規律を守るというような、大人たちが日常生活を営む上で従っているような大雑把なもののことです。

 このような規律は、大人がしっかり実践していなければ年少のものに伝えたり、守らせたりすることはできません。自分自身が実行しているが故に、「ああするように、こうするように」と指示することができます。規律を守らせつつ、何かあったときは愛をもって接すること、それが大切です。

 接客業を仕事とするある人はブログで、クレーム対応を一手に引き受け、余計な負担を部下に与えないように心がけたと書いていましたが、会社などの職場において上司の大切な仕事の一つは、部下が安心して働ける環境を整えることです。規律を与え、部下を守ることは上司の重要な仕事です。

 親や年長者であろうと、職場の上司であろうと、このような仕事(規律を与え、愛をもって育むこと)の大切さやしんどさはその立場になってみなければなかなか実感できません。

 国は国民を守ることが大きな役割の一つです。統治者を育てることは、霊的に卓越した聖者たちの仕事です。聖者達は統治者に規律を与えます。聖者たちは誰から規律を与えられるでしょうか? 師からも与えられるでしょうが、聖者の幾人かは神御自身から規律を与えられるように思います。

 最近、愛は最高の規律ではないかと思うようになりました。愛の道を歩む人にとって愛は私たちを導くものです。愛の促しが私たちをある方向へと歩ませます。私たちが外れてはならない規律は愛です。常に愛のうちに生きること、それは最高の規律のように思います。愛、愛、愛・・・、そこには成就があることでしょう。それは教育の目的でもあります。