メメント・モリ

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Nacho


20歳になる頃のことだったと思います。ちょうど1988年、昭和天皇が亡くなられる少し前です。私は東京にいて、当時のバブルの世に強い違和感を感じ、何かを求めて書店をよく巡っていました。そういうなか『メメント・モリ』という題の本が目につきました。気になって手に取ってみたのですが、メメント・モリは『死を想え』という意味のラテン語だということを知りました。

 ウィキペディアによると、古代ローマでは将軍の凱旋パレードの際に、将軍の後ろに立つ使用人が、「将軍は今日絶頂にあるが、明日はそうであるかわからない」ということを思い起こさせる役目を担当しており、そこで使用人は「メメント・モリ」ということによってそれを思い起こさせていた、とのことです。

 アレクサンダー大王マケドニアの出身ですが、彼はインド遠征から帰ってくるときに亡くなったそうです。彼は亡くなる前に側近に、自分が死んだら自分の空の両手を柩から出して皆に見せるように指示したと言われています。世界を制服した王も死の際には何も持っていくことができないということを人々に知らしめるためだったといいます。

 このアレクサンダー大王のエピソードが、メメント・モリという言葉の起源と関係があるかどうかはわかりませんが、古代のギリシャ人やローマ人が普段から死を意識していたことが感じられます。

 20歳ころ、『メメント・モリ』という本を手にしてから、まだ先のある人間が死について考えることが多くなりました。人はいつ死ぬかわからないというのは真実ですが、まだ何も成し遂げていない自分にとっては死は忌むべきものでした。今現在はそれほど死を恐れることはないのですが、もう少しやっておかなくてはならないことがあるような気がして、時間を大切にしたいという思いは変わりません。

 このメメント・モリという言葉を思い起こしたきっかけは、最近見た夢でした。夢の中に私の霊性の師が現れました。私には選択の余地があったので、師に近づき話しかけようかと思ったのですが、慎んでいました。彼のそばに座っていると、師は他の人に向かって「メメント・グル、メメント・グル、メメント・グル、・・・」と繰り返しました。メメントとは思い出す(remember)という意味で、メメント・グルは「霊性の師(グル)を思っておきなさい」という意味です。この言葉が妙に心に残りました。

 私の師は恵み深く、言葉を用いなくてもその眼差し一つで人を導くことができます。私も師の教えに従って20年近く生きてきて、いろいろと心の騒ぐこともありましたが、あらゆる面倒を見ていただいてきたと今は感じています。メメント・グルという言葉は、「師の恩寵と祝福のうちに生きよ」と教えてくれているように思います。また、メメントという言葉には形見という意味もあります。文法的には正しくないのでしょうが、メメント・グルという言葉から師の形見という意味も汲み取れます。

 私の師はサティヤサイババです。