愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

霊性修行

 霊性修行とは、具体的には神仏の御名を唱えること、瞑想、奉仕の行為、聖典を読むことなどのことです。霊的な活動、霊的な目的をもった行為のことです。私は自分の内なる状態を良好に保つために(そして内なる状態が保たれていれば、自動的に外的な状況も保たれるのですが)霊性修行を日々心がけています。

 人間の命とは太陽のように輝いています。太陽は世界を照らすのですが、太陽に照らされた海の水から雲が生じ、雲は太陽を隠してしまいます。また人間の命は火のようでもあります。ランプの火は燃料を燃やしますが、それから生じる煤によってランプの火屋(ほや)は汚れてしまい、火が見えなくなってしまいます。同様に人間の命は輝いている(つまり自然な状態は英知な)のですが、英知から生じた心(マインド)が英知の状態を隠してしまいます。

 人間は本来英知に満ちた存在なのですが、世間で生きていく中で汚れてしまって、自然に無知の状態に陥ってしまいます。本来の英知の状態を取り戻すためには汚れを取り除かなくてはなりません。それが霊性修行の目的です。また無知の状態にある弟子を英知の状態に戻すことがグル(師)の役割です。優れた師は弟子に何らかの霊性修行を課すものです。

 御名を唱えることで神や仏を思い起こすことになります。これで心の汚れの幾分かは取り除かれます。瞑想することで、心の動揺を抑え、ものが幾分見えるようになります。奉仕をすることによって、私たちの内に愛が流れ、汚れがやはり押し流されます。このように霊性修行とは私たちが本来の自分に戻るために汚れを取り除く助けとなります。

 家の中を掃除することも、霊性修行となります。食事を整えることも霊性修行となります。正しい手段で生計を立てることも霊性修行となります。人にやさしい言葉遣いで話すことも霊性修行となります。霊的な視野(つまり愛)をもってすべてを行うことはすべて霊性修行となります。

 霊性とは、外的なものにさらされてそれにただひきづられるだけの生活を離れ、内なる愛に促されて外的なものに関与することといえるでしょう。ちょっとした態度の違いで、人生はすべて霊的なものとなりえます。