愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

人生の物語

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Micah Beard

 ここ10年、私は小説をほとんど読まず、テレビドラマや映画を見ていませんが、物語は大切だと年を取るごとに感じています。

 「人生とは関係です。人生とは関係の中における行為です。私が関係を理解しないとき、あるいは関係が混乱しているとき、そのとき私はよりたくさんの意味を求めるのです。」(クリシュナムルティ

 青年期の課題の一つは自立ですが、同時に他者との関係の中で生きることを学ばなければなりません。自分でできることをするように求められていますが、互いに依存し合う存在です。他者との関係は不可欠です。そして、他者との関係があるところ、必ず物語があります。

 物語を生きることの反対はギャンブルに生きることではないかと思います。私などは人生には運命というものがあり、それに沿って生きることにおもしろみを感じているのですが、運命も何もなくサイコロを振るように出たとこ勝負の人も日本には多くいます。

 盲目のインド系学者が書いた本に『選択の科学』という本があります。これは選択に関するさまざまな面について述べた本です。彼女はインド系のルーツをもつので、結婚の際などには親の取り決めを考慮しなくてはなりません。しかし一方アメリカに暮らしているので、自由にあらゆるものを選択して生きる人生についても知っています。自分のルーツとアメリカ社会の両方の価値観の中で彼女は選択について考えるようになったといいます。

 この本にはさまざまなことが書かれていますが、私の心に残っていることは、余りにも選択肢が多過ぎると人はとまどってしまい、例えばスーパーで商品を選ぶ際は6つくらいの商品から選ぶのが最も好ましいという結果が得られたということです。売る方からしても商品の構成を抑えたほうが売り上げが上がるという結果です。もう一つ心に残っているのは、自由恋愛で結婚した人よりも、親の取り決めにしたがって結婚したほうが幸福度が高いということです。

 彼女の本にも書いてあったように覚えていますが、人生の節目節目で私たちが選択をするとき、人はどのようにして自分の道を選ぶかといえば、物語のある方を選ぶことが多いのではないでしょうか? ある集団に属していても、そこに所属することで物語を感じさせるところは参加していて楽しいものですが、何ら発展もなく停滞しているところに参加するのは気が進みません。人生にプロセスを感じることが物語だと思います。人は心の底では成長=前進を望んでいるが故に物語を求めている気がします。

 私は比較的記憶力のある方だと思います。昔のことをときどき思い出しますが、私の場合過去の記憶は現在に繋がる物語のエピソードとして記憶されています。特に昔のできごとはそうです。生まれてからこれまでの人生は物語としてひとつに統合されています。

 小説やドラマ、映画などをみていないと書きましたが、その他の場所でいろいろ物語を楽しんでいます。以前も書きましたが、あげます下さいサイトで使わなくなったものをほかの方に提供する際、相手とのやり取りの中で相手の人生を感じることがあります。また、私は時々クラウドファンディングでおもしろい企画に取り組んでいる人に寄付することがあるのですが、彼らの報告を読むのも楽しいです。

 人は遅かれ早かれ人間の力を超えた人間を動かす力=運命を感じるようになると思いますが、運命=物語を感覚する能力は霊的な能力でしょう。自分の知性にうぬぼれている人は知的に理解できるものがすべてだと考えますが、運命は時間と源をともにしているようであり、それは(理解するものではなく)生きられるものであります。それは人を駆り立て、人をある方向へと向けさせます。人生がいつも新鮮だと感じている人は、物語を生きていると思います。

 私の人生は特別派手なものではありませんが、小さな驚きや発見、満足に満ちています。そして他の人にもみな特別な人生の物語があると思います。