宗教における道徳

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francisco Jordan

宗教の4分の3は人格・道徳です。一部の宗教は難しい教義などで信者を煙に巻いているかもしれませんが、それでは人々になかなか受け入れられません。教義は大切でないとは言いませんが、教義ばかり気にする人は宗教のほんの一面にしか関心がないのだと思います。

 私の家は、何度か書いたことがありますが、浄土真宗です。家に分厚い聖典があります。しかし普段私が目を通しているのは『蓮如上人御一代聞書書』です。これは蓮如上人の普段の生活の中での言動を記した本です。小さな書ですが、わかりやすい内容の本です。日本には、他にも曹洞宗の『正法眼蔵随聞記』などのように小著でありながら、内容が親しみやすい仏書があります。私はこのようなものを好みます。

 『蓮如上人御一代聞書書』には日常生活での振る舞いに関して学べることがいくつも書いてあります。例えば、
 「今日ばかりおもふこころを忘るなよ さなきはいとどのぞみおほきに
 (今日を限りの命だと思う心を忘れてはならないぞ。そうでないと、この世のことにますます欲が多くなるから。)
 覚如上人の詠まれた歌です。」
という箇所を読めば、欲を減らして今日を大切に生きようと思います。

 また別の例では、
 「蓮如上人は、お若いころ何ごとにも苦労ばかりで、灯火の油を買うだけのお金もなく、かろうじて安い薪を少しずつ取り寄せて、その日の灯りでお聖教をお読みになったそうです。また、ときには月の光でお聖教を書き写されることもありました。足もたいていは冷たい水で洗われました。また、二、三日もお食事を召し上がらなかったこともあったとお聞きしています。」
という箇所を読めば、与えられたものを活かして、一日一日歩んで行きたいと思います。

 他にもいろいろありますが、宗教の大部分はこのような小さな道徳の積み重ねを勧めるものであって、教義や儀式は私たちが人生の目的を忘れず、正しい生活の道から外れないよう私たちを護るためのものではないでしょうか? そして信者の集まりは、励まし合ってともに生きていくためのものであるでしょう。

 人間の生活に根ざしたものであるとき、宗教は社会に受容されます。