麻原氏処刑に思う

 先日オーム真理教の元教祖とその信者たちが処刑されました。いくつかの点で議論が起こっているようですが、私も思うところを少し残しておきたいと思います。
 
 私は宗教や特に霊性というものに関心をもっているので、宗教や霊性についてまったく知らない人よりはオーム真理教の宗教的側面について理解できるのではないかと思うのです。
 
 麻原氏は自分が解脱した存在だと述べていたようですが、テレビにのこのこと出演することや政治に関わるのを好むことからそれがほぼ嘘であることがわかります。教義らしいものについては目を通す気にならなかったので詳しくはわかりませんが、人から伝え聞くところでは既存の宗教などの教義を自分に都合よく編集したもののようです。自らの体験による真理の把握とは異なるものでしょう。
 
 私にとっては宗教面で特に取り上げるようなところがあると思えない(関心がない)団体ですが、かの団体がテロを起こしたことは憂うべきことです。自らの自己探求の過程で困難にであうことはありますが、その困難に対峙することのできない人たちが他者、社会に対して暴力を振るったと見ています。世界は自らの反映だといいますし。
 
 名のある学者や文学者たちのオーム真理教に対するコメントにも目を通したのですが、ほとんど見当違いのことを述べているような気がしました。いわゆる知識人といわれる人たちの宗教に関するレベルが低いからああいう団体に人が集まるのではないかと感じてしまいました。
 
 オーム真理教の事件から教訓が得られていないという意見があります。同じようなことが起こってほしくないので、そこから教訓が得られればそれに越したことはありません。専門の宗教学者などではない私がもし教訓らしいことを語るとすれば次のようなことがいえます。
 
 ・宗教の4分の3は道徳であるという認識が社会に広まって欲しい。
 ・神秘体験などを過度に重視しないようにして欲しい。ほとんどはまがい物か心の汚れの表れに過ぎないのだから。
 ・政治が好きな団体は疑う。
 ・盲目的な信仰を強制する人には従わない。弟子が心から納得するまで師をテストすることを許さないなら逃げるべし。
 ・ある団体に入ろうとするとき、師や弟子たちのいうことはほとんど無視していい。彼らが行うことを長い間観察して彼らを判断すること。
 ・お金への執着のある師や団体には従わない。最近は手の込みいった物乞いのような人が多い。
 ・孤独や心に問題を抱えているならば、むしろカウンセラーや精神科医に相談する。
 ・ある種の団体は霊性の向上ではなく擬似家族を信者に提供している。
 
 すぐに思いつくだけでもこれだけのことは言えます。もしかしたらまっとうな宗教団体は日本にほとんどないのかもしれません。実際のところ、真に価値あるものはわずかなのでしょうから。
 
 麻原氏の弟子たちはほんのわずかばかりの瞑想でクンダリーニがどうのこうのといいだしました。私は15年以上瞑想を続けていて、そういうものを体験したことはありません。私はそれが恥ずかしいとかそういう思いはまったくありません。彼らは犯罪を犯し、私は普通に過ごしています。彼らが語っていたことはほとんど意味のないことです。
 
 また判断を他人にゆだねてはなりません。
 
 手本となる人がいません。人が本当に求めているのは、心の平安であり人生の喜びです。他人が理解できない用語を用いだしたなら、その人は迷いの世界に足を踏み入れようとしているのかもしれません。そういうふうなことを最近思いました。