デジタルと人間

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Albert Calher

インターネットは人間の心の反映だと思います。人々の心の中にあるものがインターネット上に掲載されます。ありとあらゆるものが載っています。しかし、それでもインターネットは心のごく一部にすぎないでしょう。心の広大さに比べればインターネットは小さな世界です。

 即物的にいっていまえば、インターネットは単に0と1の膨大な組み合わせです。0と1を組み合わせるだけで文字や絵や写真、動画や音楽が表示されます。0と1の組み合わせで表示されるものがデジタルです。

 単なる0と1の膨大な羅列に過ぎないインターネットですが、ある情報に触れれば気分が良くなりますし、別の情報に触れれば悪夢にうなされるような気分になります。私は情報をできるだけ識別して、平安な状態を保つようにしています。また人の平安を乱さないように心がけています。

 人間の心は0と1を操り、また人間が表現したあらゆるものは0と1で近似できます。そしてそういう活動に人間は一喜一憂します。しかし人間そのものは0と1の組み合わせではありません。

 プルシャスークタムというヴェーダの一節に次のようなものがあります。

 アティヤティシタ ダシャーングラム

 人からサンスクリットの意味を聞いたのですが、アティヤティシタとは「超越して存立する」という意味で、ダシャーングラムとは「10本の指」という意味だそうです。この詩節はプルシャ(至高の神あるいは人間存在)について述べたものですが、神は10本の指、つまり数字で記述できるものを超越している、人間存在は数字で記述できるものを超越しているという意味だそうです。

 人間は考えますが、思考自体は人間にとって無のようなものです。0と1の組み合わせを超越しているということは、無限(限りがない)だということです。人間は無限です。思考やインターネットは夢のように消えていき0に等しいものですが、人間は真実です。

 今は過渡期ですので、インターネットはさまざまに活用されており、私もそこにアクセスしてこのようなものを書いています。私はインターネットをおもちゃくらいのつもりで扱っています。インターネットで正しく適切な情報にアクセスし活用しつつも、それに振り回されないように心がけています。