愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

欲望に上限をもうけることに関して

 

私は今年はよく寝る前に布団の中でSanathana Sarathi(サナタナサラティ)という雑誌を読んでいます。サイババの御講話や帰依者の方々の体験談などが載っている雑誌です。英語ですが、分からない単語があれば辞書を引いています。こういう雑誌はたくさん量を読めがいいというわけではなく、自分が納得し理解しながら読んでいくのが大切です。毎月出ていてページ数は最近ですと40ページ弱ですが、ゆっくり読んでいるとひと月の内に読みきれません。

saireflections.org

 

さて過去のサナタナサラティを読んでいて、次のような言葉に出くわしました。
How much the world stands to gain from the practice of ceiling on desires can be gauged from Swami's words; "Ceiling on desires is civilisation"! (Sanathana Sarathi Nov 2017 p37)
(欲望に上限をもうけることの実践からどれだけのものが得られるかは、次のスワミの御言葉から推し量ることができます。「欲望に上限をもうけることは文明です。」)

 

ceiling on desires(欲望に上限をもうけること)というのがもしかしたらわからないかも知れませんので、説明しておきます。あれが欲しい、これが欲しい、あれがしたい、これがしたいと思うがままに行動していたら、お金や時間などがいくらあっても足りません。また欲望を満たす行為で人生を満たし続けていたら、本来すべきことが疎かになってしまいます。そのためサイババは帰依者に欲望に上限をもうけなさいといいます。特にお金、時間、食物、エネルギーを無駄にしてはいけませんといいます。お金を無駄なことに使わない、時間をつまらないことに浪費しない、食物を捨てたりしない、エネルギーを無駄にしないということです。当然生活の必要を満たすことは構いません。現代社会では食物や衣類は購入しないといけません。必需品を買うことは問題ないのですが、必要ないものまで買うことには控え目でいなさいということです。テレビやスマホを見続けるようなことで時間を無駄にしてはなりません。食物はお腹を満たすだけにとどめておきなさいということです。エネルギーは電気やガスなどもそうですが、人間の体に備わるエネルギーを無駄な活動に向けることは避けなさいということです。特に悪いものを見たり聞いたりすると体に備わるエネルギーは浪費されるようなので、悪いものを見たり、聞いたり、したりしないようにしなさいといいます。

 

このように欲望に上限をもうけることによって生じたお金や時間、食物、エネルギーを人類への奉仕に役立てなさいというのがサイババの指示です。大金やたくさんの時間を作り出すことは難しいですが、誠実に欲望の節制をしていますと、多少なりともお金や時間に余裕が出てくるはずです。それを小さなものでいいので奉仕する機会を見つけてそれに使うことが期待されることです。例えば私の場合、本当に小さなことですが、時間に余裕がある時には気持ちを落ち着かせる効果もあって好んでしているのですが、編み物をしています。世の中にはホームレスの方のために毛糸の帽子を送ってくださいというところがあるので、ここ何年かは毛糸の帽子を編むことが多いです。それを年末に送ります。他にも探せばちょっとした奉仕の機会はあると思います。奉仕に優劣はありません。どんな奉仕でもかまわないと思います。

 

このような欲望の節制の実践からどのようなものが得られるかということです。欲望の節制をしている人は日本にはごく僅かでしょう。しかしこういう習慣が日本のかなり広い範囲に広まったとするならば、その総和はcivilisation(文明)を築くに等しいというのがサイババの見解です。まず基本的に欲望に上限をもうけようとする人は、自分でできることは可能な範囲で自分でしようとする人ではないかと思います。欲が少ないので欲を満たす行為は少しですみます。一人ひとりの欲望が少なければ、家族の欲望も少ないでしょう。家族もかなりの部分自分たちで生活を立てていくことができるような気がします。欲望の節制から生じた余剰分は、私のためではなく公(おおやけ)の領域に使われることになるだろうと思います。運が非常に悪く困窮している人たちを支えるために用いられるでしょう。

 

私は上のサナタササラティの言葉をツイッターでツイートしたら、次のような言葉が返信として返ってきました。
Those who learn to ceil desires will be able to direct desires.
(欲望に上限をもうけることを学んだ人たちは欲望を方向づけることができるようになるでしょう。)

たくさんの欲望の内一部だけ満たすのが欲望の節制ですから、より人間の生活に本質的な欲望が残され、それが生活の基底、規定となります。またそれによって生じた余剰分は、できるだけ有効に活用したいと思うようになります。当然識別を働かせて誰が何を本当に必要としているかを考えます。そして奉仕を必要としている人たちに適切にサービスを提供します。一人ひとりのこういう識別と知性の総体が積もり積もって一文明を作り上げていく。そういうことなのだと思います。

 

日本人は特にバブルの時代に多くのものを無駄にする生活習慣を身に着けました。これが日本が世界の中で例外的に衰退している主因の一つであるのかも知れません。今日本国は国債だけで1000兆円を超える借金があります。日本人一人当たり840万円前後です。私も病気でそれなりに国のサービスを利用しているので大きな顔はできません。しかしこの30年間日本人が自分たちでできることをもう少し自分たちでやっていたら、借金はまだ少なかったのではないかと思います。たとえば、飲酒やタバコを控えることで医療費を減らすことができたかも知れませんし、老いた親の老後を子ができる範囲で見ていたら、医療費介護費などがもう少し少なくてすんだかも知れません。個人的には作る必要のない道路もあったのではないかと思わなくもありません。ほんの少し遠回りすればすむことでした。効果のあまりなさそうな補助金の話も聞きます。自分の生活にできる範囲で責任をもっていれば国の出費は比較的少しですんでいたはずです。

 

欲望に上限をもうけることで有効に活用できるお金や時間、食物、エネルギーを少しばかり確保し、それらを識別と知性でもって活用することは、自分にとっても他の人にとっても益があるものです。日本人はあまり奉仕をしませんが、そこは改めたほうがいいのではないかと私は思っています。