愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

Life is a game, play it!

Life is a game, play it!(人生はゲームです、参加(プレイ)しなさい!)については一度書いたことがあるのですが(下の記事「SPORT」)、もう一度触れておきたいと思います。興味のあるテーマに関しては、くり返し触れる意味はあるでしょうから。内容はだいぶ重なるところもあるのですが、わずかばかり視点がずれていると思います。
 
 
gameという概念を日本人は正確には理解していないという意見があります。それは単なるテレビゲームとは異なるもので、私も正直なところそのあたりのことに関しては無知な人間です。ただ、gameには「ルール」があり、それに則って活動することを意味するのかなと思っています。私自身が理解しやすいのでテレビゲーム(ビデオゲーム)を例に取り上げますが、現在世の中にはアヴァターとなって参加するロールプレイングゲームがあるようです。参加者そのゲームにログインすればそのゲーム空間に入り込めるわけで、そのゲーム空間においてさまざまなことが起こっているのでしょう。私は一度もそういうゲームをしたことがないので、詳しいことはわかりません。ただそれに似て、私たちが生きているこの世界もある種のゲーム空間であって、私たちがこのゲーム空間に参加するためには肉体をまとわなければなりません。肉体をまとったときにだけ、他者の声を聞くことができ、風を感じることができ、光の造形を目の当たりにすることができるとされます。人生、早くに死んでしまうことがあるのですが、概ね7,80年あります。そしてその期間にわたってゲームに浸ります。
 
一般には、この世のゲームのルールはダルマというもののことだとされています。このブログでは何度も出てくる言葉ですが、ダルマとは大雑把にいえば人としての務めや義務のことです。人は社会的存在ですので、他者との関係において役割があり、それを果たすことがダルマに当たります。神との関係においては帰依者であり、世界・宇宙との関係においてはアートマです。この世のルールはダルマであるといえば、それで差し支えないと思います。
 
ただインド以外の国ではダルマという概念は普及しておらず、そういう国においてはもう少し別の捉え方も可能になります。それでも基本的にこの世のルールは霊的な原理の範疇ではあるでしょう。たとえば「時間・食物・お金・エネルギーを無駄にしない」という原則がありますが、人生の長きにわたって、このルールに従って生きている人は結構いると思われます。これは取り組むに価値ある立派な原則だと思います。他にはたとえば「できる限り言葉を少なく、そして優しく話す」という原則がありますが、あまり社交的でない人には、この原則は魅力的なものです。自分の霊性は向上しますし、他者へもいい影響を与えます。他にも「24時間神を想う」というゲームもありえます。このように考えれば、人生にはさまざまなルールを設定することが可能です。ただ一つ心に留めて置かなければならないのは、人生には限りがあり、いつかは元いたところに帰っていかなければならない、ゲームを終えなければならないということです。朝会社や学校に出かけても、夕方には家に帰ってくることを忘れてはなりません。
 
もしかしたらエートスというのはそれぞれの文化に固有のこういうルールのことなのかもしれません。プロテスタントの倫理は節制を徳とし、節制を極限まで極め、そこで蓄えた富を有効に活用することで資本主義を発達させました。プロテスタントはお金を増やすことをゲームのルールとしたのです。このルールは出発点においては霊的であったかもしれませんが、それがある面で世俗に堕し、現在多くの問題を社会に引き起こしています。経済をお金を増やす面だけから考えることは好ましくなかったということです。プロテスタントだけを責めても仕方ありません。日本社会にも独特のルールがあるような気はします。その悪い面は、同調によって社会の問題から目をそらすことでもありますが、もともとは「和」というものの適切な規範があったのかもしれません。
 
コロナウィルスの影響で、今は社会が変わりうる一つの機会でありますが、もし社会が変わりうるとすれば、それはつまりは社会のルールが変わるということを意味するでしょう。そしてそれは霊的なルールなのですが、過去とはまったく異なるルールの場合もあり、あるいは過去のルールを蘇らせることでもあるでしょう。そしてそれは、結局は個人個人が自ら進んで受け入れるルールに他なりません。単なる理念というよりは、霊的な原則です。
 
参考までに私が自ら指針としている霊的原則を思いつくままに上げてみましょう。これは私がこの世というゲームに参加する上で従っているルールです。まず当然ですが、自らの役割としての一般的なダルマというものにはかなり配慮しています。それに加えて、全託・御名にしがみつくという自らの宗教の要請があります。さらに師の示す指針として、節制とそれによって生じた余分な富を奉仕に回すことを意識しています。私個人の性質のためでもあるのですが、言葉少なくそして用いるときは適切に語るということも心がけているでしょう。これだけのルールがあると、ある意味私の人生はがんじがらめのようなところがあります。そして他の日本人一般とこれらの原則の分だけ異なっているというわけでもあります。しかしルールがあってこその人生の楽しさです。実際に私は喜びを得ています。
 
そう人生はゲームです。どうぞ積極的に参加されてみて下さい。