愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

SPORT(遊戯)

人はどこから来て、どこへ行くのでしょうか? 人生の行く末だけでなく、私たちがどこから来たかを考えることも、人生を生きるヒントになると思います。私は輪廻転生を自然に信じることができますので、単に精子卵子の結合から生じた肉体が命の始まりとは思っていません。輪廻の始まりも終わりもあるはずですが、そもそもどこから来て、どこへ行くのでしょうか?

人は朝職場や学校へと出かけ、夕方家に帰ってきます。それと同じように、すべての生命は自らがそこから来たところへ帰るものだと思います。この世はその途中にある場所なのでしょう。

ヒンズー教では、この世は神のリーラ(戯れ)によって創造されたものだとされています。神は自ら楽しむためにこの世を作られたのかもしれません。リーラ(戯れ)を英語ではsportといいます。

スポーツといえば、私はイギリスを思い浮かべます。今年オリンピックの行われたこの国において、多くのスポーツ競技が作られました。サッカー、ラグビー、ボートそして確かゴルフもそうだったように思います。メジャーな競技ばかりです。スポーツの面白さはルールにあると思います。脚だけを用いて得点を競うサッカーがその最たるものだと思うのですが、ラグビーも楕円形のボールを前に投げることなく前へ前へと運んでいくところに面白さがあります。

神の戯れは同じくsportと綴りますが、この世も独特のルールが支配するある種のスポーツです。

罪は日本ではもともと「つつむ」という意味であったそうです。人間を包んで真理を見えなくさせるもののことを罪と呼んでいたそうです。悪いことをすると人間の心が濁ってしまい、真理が見えなくなってしまうということです。聖書によると、アダムとイブが楽園のリンゴをかじって追放されましたが、それはあたかも人間が罪によってものが見えなくなったことを示唆しているような気がします。原罪というものをよく理解していないのですが、何はともあれ人間はこの世で真理が見えない状態におかれました。

またバベルの塔の話も非常に興味深いものです。人類はさまざまな言語によって分割され、相互の意思疎通が容易でない状態に置かれました。世界には何千もの言語がありますが、そういう中でなんとか人々はコミュニケーションを図ろうとしています。
また男と女という存在もあります。すべての道徳の基盤はこの両性間の振る舞いにあるのではないかと私は思っているのですが、この両性の存在によって、家庭が形成され、社会の規範も定められました。

このように、ちょっと思い浮かべるだけで、この世にはいくつかの独特のルールがあることがわかります。

「Life is a game, play it!」(人生はゲームです。プレイしなさい!)という言葉がありますが、まさにこの世はゲーム(スポーツ)だと思います。神が作られた独特のゲーム(戯れ)です。そもそもの源から生じ、源へと還る途中にある人間が参加すべきゲーム。人間はホモ・ルーデンス(遊ぶ人)とも言われます。人生を重ねれば重ねるほどに味わいが増す、非常に奥深いゲームです。それをやっと楽しめる年齢になってきました。