愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

収入の数%を奉仕にあてる

 

サティヤサイオーガニゼーションという団体があります。サティヤ・サイ・ババに関心をもったり、その教えに共鳴した人たちのために、サティヤ・サイ・ババが示した指針に沿って設立された団体です。それは霊性の向上を求める人たちのためのもので、目に見える部分として奉仕活動に携わることを目標としている奉仕団体、霊性団体です。その団体には、それに参加するメンバーが意図的に外れないことを求められている9つの行動指針というものがあります。その9つ目にあるのが、『「節制のプログラム」を通じ、欲望に節度を設けて、そこで蓄えたものを奉仕に役立てる。』です。「節制のプログラム」とは簡単にいうと時間、お金、食物、エネルギーを無駄にしないということです。この9つ目の指針の目的は2つあるでしょう。一つは欲望に節度を設けること、もう一つは余裕のできた時間、お金、食物、エネルギーを奉仕活動にあてることです。

 

先日ビル・ゲイツ氏の資産が10兆円で、そのうちの5000億円を彼はワクチン開発に提供しているという情報を見かけました。素晴らしいことだと思います。私を含めて多くの庶民にはそれほどの金額を社会福祉のために提供することはできません。彼の行っていることはとても有意義です。ところで10兆円のうちの5000億円は率でいうと5%です。5000億円も支出することはできなくとも、収入の5%を奉仕にあてることができる人はまあいそうです。日本では税金や社会保障費の割合が結構高いので、5%は難しくても2~3%なら可能という人もいます。手取りの収入が仮に500万円なら5%で25万円、2%で10万円です。一方で自分や家族以外の人のためには1円も使いたくないという人も多いのでしょうが。

 

まずは節制について考えてみます。快適さを求める人は生活費の枠内でできる限りの快適さを求めるでしょうが、実はそうでない人たちがいます。私はこれまで投資信託や個別株の購入を少しばかりしてきたことがあるので知っていますが、株式に投資する人の一部は喜んで節約に励みます。少しでも節約して溜まったお金を投資します。彼ら投資家は美味しいものを食べたり、つまらない娯楽にお金を使うよりも投資の方が楽しいのです。また一部の富豪が質素な生活をしていることはよく知られた事実です。彼らは贅沢を目的にしているのではなく、資産を増やすのがおもしろいのでそれに携わっているのですが、無駄な出費を嫌います。これはあまり霊性とは関係ないかもしれませんが、節約を苦にしない人がいることは知っておいていいでしょう。

 

霊性向上を意識した節約は欲望に制限を設けることです。人は食べたり、衣服をまとったりしなければならないので、最低限の必要というものがあって、欲望をなくすことはできないでしょうが、(何が必要ないかは人それぞれでしょうが)必要のないものに関する欲望は減らしていくことが霊性の向上に不可欠です。欲望の少なさと英知の度合いには関係性があるとされます。人は収入の範囲内で生活するよう努力しますが、きちんと生活を見直せば、極めて貧しい人を除いて数%程度は出費を減らすことができます。出費を減らしたということは欲望を減らしたということです。

 

次にそれを奉仕に用いるということについてです。知っているかどうかわかりませんが、日本にも生活に極めて困っている人がいます。わかりやすいのはホームレスの方々ですが、母子家庭・父子家庭の方たちのかなりも困窮しています。他にもいらっしゃいます。たとえば私が娯楽の映画鑑賞に1800円使うのと、数日間食物をわずかしか食べていない人がまとまった食事を1食(仮に500円とします)でも摂るのとでは、お金の使い方としてどちらが有効かということです。資金がどの程度有効に用いられているかは、ある程度ビジネス感覚のある人はわかるでしょう。私の感覚としては、暇つぶしのために払う映画代とそのための時間よりも、ホームレスの方に食事を1食でも提供するほうが、経済的に見ても有効なのです。ただ奉仕は決して経済性だけが問題にされるわけではありません。

 

これに似たケースは丹念に社会を観察すれば見つけることができます。奉仕の機会を求めて社会を観察することで社会をよりよく理解することになります。生活の必要が満たされている私がお金を自分のために使うのと、念頭にある困った人のために使うのとどちらが有効かということを冷静に検討することで、人間理解も深まります。知性と識別がなければできない作業です。霊性の領域における奉仕とは、捧げる相手の内に自分の愛する存在を見て礼拝の気持ちで捧げ物を捧げる行為ですが、そのような霊的な観点がないとしても、奉仕という行為には尊い要素があります。奉仕によって社会を良くするなどという考えは持たなくていいのですが、少なくとも自分自身に対しては良い効果を持ちますし、場合によっては奉仕の受け手も良い影響を受けるでしょう。

 

ちなみに収入の数%を奉仕に用いても自分の財産が減っていくということはありません。前提として節制によって蓄えたものを活用するからですが、それだけでなく人は与えれば与えるほどその何倍ものものが自分に返ってくるという不思議な原理のようなものがあって、日本にも情けは人の為ならずなどのことわざがあるように、いいことはすればするほどお金が寄ってくるという傾向があるように思います。私は収入の数%を奉仕にあてる生活を15年前後くらい続けていますが、比較的貧しいながらも生活は今のところ破綻していません。収入の5%くらいを奉仕に用いれば、その20倍くらいつまり次の一年くらいの生活費は見えない働きのおかげで保証されるのではないかと根拠もなく感じています。

 

たとえば、車に乗って10km先のショッピングセンターに買い物に行ったとします。そこで自分の稼いだお金で買い物をした時、お金は自分で稼いだのは確かですが、車を作ってくださった方、ガソリンを供給してくださっている方、道路を建設し維持してくださる方、ショッピングセンターの維持に関わる何千人もの方々、それらすべての人たちを育て教育を授けた方々など無数の人々のおかげがあってこそです。単にお金を払うだけでそれらの利便性を享受できるわけです。社会に対するわずかばかりの感謝があっていいでしょう。自身は社会の中で時に過ちをおかし、少しばかりは社会に対する負債を負っているでしょう。そのように社会に対する感謝をあらわしたり、負債を返す行為としての奉仕の意義はあると私は思うのです。