愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

山歩きと林住期

 これまでもこのブログで幾度か山歩きについて触れてきました。おそらくは飽きっぽいところのある私ですが、山歩きは細々とですが続けています。かなりの魅力があるのは確かです。

 今年はいい山アプリにめぐり合い、それを通じての他の山愛好家との交流で、山に関する展望や気づきが多くあった年です。山アプリを使うようになって、山歩きのありようが変わってきました。文明の利器が生活に及ぼす影響を考える格好の材料になるのではないかと思います。その第一は、携帯の電波の届かないところでもGPS機能が使えて、安全性が高まったことです。私はソロ(一人歩き)がほとんどなので、以前は山で迷うと場合によっては命に関わりかねないことでした。今でもそういう危険はあるのですが、携帯が使える限りは、そこに記録された軌跡をたどって道を戻ることができます。そのおかげで、以前はしなかった冒険のようなことを試みることもあり、また以前は怖かったことが今は怖くなくなりました。ただし、山歩きの基本が最低限身についているからでして、本当の素人の方が山アプリを頼りに歩いて、万が一携帯の電源が切れるなどすれば、重大な事故になります。

 山アプリで多くの方の山登りの実際を見聞きすることができるようになりました。世間での山ガールという言葉の通り、女性で山歩きする方は多いです。中には一人で歩かれる人もまあいます。あと、やはり私もその一人である中高年の方が多いです。若い人が決して少ないわけではないのですが。

 年をとると森の中で自然に触れるのが本当に楽しくなるのだと思います。インドでは林住期とされる時期に、この言葉を知らない日本人の多くが森の中を歩き回って自然を楽しんでいます。重い荷物を背負い、汗をかきながら、そして場合によってはヘビやハチ、クマなどに襲われる命の危険も考慮しながら、きつい思いをして山を歩くのですが、それらを越えた喜びが確かにあります。

 「目の前の山に登りたまえ。山は君のすべての疑問に答えてくれるだろう。」(ラインポルト=メスナー)

という偉大な登山家の名言がありますが、これは私にはかなりの真実に思えます。私が山を一人(ソロ)で歩くのは、自然を楽しむと共に、ものを考えるのが主な目的ですが、ただ町中を歩くだけでも思考が整理されるのは確かで、森の中だとさらに余分な情報から離れていられるので、森の中ではその人の抱えている問題に純粋に直面し、それについて思索することができます。山の歩き方の癖で自分の生き方の癖にも気づきます。山は世間とまったく隔絶したところではなく、歴史・文化・自然の面で町となだらかにつながっています。地域についての理解が深まることは間違いありません。

 山の中にはかつては修行者たちの庵であったところの廃墟もあります。必ずしも山岳宗教で有名なところでなくてもです。また最近は里山の手入れが行き届かなくなってきました。以前は人々は近くの山に普通に入っていたはずなのです。

 楽しくて山歩きをしているのですが、それが度重なると、こんなことをして遊んでばかりいていいのだろうかと思ってしまうことがあります。映画を見たり、小説を読んだり、あるいは飲み食いにお金をかけるよりは害もなく健全な娯楽でありますが。山歩きは純粋な遊びといっていいほどですが、そのおかげでいつもリフレッシュできています。

 年をとると体力が衰えるのは確かですが、中高年になって初めて山歩きを始める方は多くいます。最近は手ごろなツアーや登山教室も多くあるようなので、50歳前後以降にさしかかっていて時間がある方は試してみてはいかがでしょうか? インド人がこの年齢を林住期と名づけた理由が身体でわかるのではないかと思います。

 参考までに登山に関する名言を集めたサイトを紹介しておきます。(こちら