自然との関係の難しさ

 

長きにわたって人類は自然との間に関係をもってきました。山や木、雨や風などだけでなく、人間の体も自然です。歴史を詳しく調べたわけではありませんが、自然との関係がうまくいっている時期はあまり長くないかもしれません。人間は社会の一部であり、人間社会は自然の一部ですが、人類が自然と調和的関係を築くことは大きな課題であると思います。

 

私は家庭菜園で花や野菜を少しばかり育てているのですが、かなり大変です。私は農薬や除草剤は一切用いていないので、草や虫との戦いは日常的です。ゴールデンウィークを過ぎると、放っておくと10日~2週間くらいで一面雑草だらけになります。それらを適宜引き抜かなければ花や野菜はやられてしまいます。虫も多くてキャベツなどのアブラナ科の野菜はほぼ育ちません。ほんの僅かばかりの野菜を育てるのにかなりの手間や気苦労があります。土いじりが好きでなければ、スーパーで買うほうがずっと安上がりです。街の人は農家の方に感謝することはあまりないかもしれませんが、一般の方が想像しにくい苦労があるのは確かでしょう。

 

私は山のふもと付近に住んでいるのですが、山からの来訪者もいます。イノシシやシカです。最近イノシシを見かけることは減ったのですが、シカは増えてきているのを実感します。イノシシは餌のミミズやその他食物を摂るために、あちこちの土を掘り返します。畑だけでなく敷地内のあちこちが穴だらけになる年があります。今年4月にみかんの苗を庭に植えたのですが、おそらくシカだろうと思うのですが、食い荒らされていました。わずかかもしれませんが野生動物による食害です。

 

私は山歩きを時々するのですが、本州ですとクマがいます。本州の山を歩くときは事前に調べたり対策をしてできる限りクマに出会わないようにしていますが、これも自然とのせめぎあいの一つです。山といえば、ハチやダニの被害も考えなくてはなりません。現在日本人を最も殺している生物はハチだと聞きますし、ダニの感染症はコロナウィルスよりも桁が2つ違うくらいに死亡率が高いようです。

 

木や竹の心配もあります。私の家の敷地にはもともとは竹は生えていなかったのですが、近隣に竹が生えていて、竹は繁殖力が高いので、最近は家の敷地にまで根を伸ばしてきています。竹がはびこるとこれまた大変です。実際今困っています。近隣の土地に大木があり、それが自然災害で倒れてきたら私の家にもしかしたら被害が出る可能性があり、なぜこんなに心配の種があるのだろうかというくらいです。

 

それ以外にも、最近ノラ猫をよく見かけます。私が子どもの頃は今よりノラ猫にうるさい社会でなかったと思うのですが、今は行政がノラ猫に餌をやらないようにと指導する時代で、それが悪いというのではありませんが、一方で猫も餓えを感じる生き物であって、ノラ猫にどう接すればいいか悩むことが多いです。ノラ猫に関しては行政がどう対処すればいいか指針を示していて、それに従えばいいのですが、今私はそれに従って、なつきそうならノラ猫を飼い猫にしようと思案中です。

 

私が今置かれている状況は、都会の高層マンションに住んでいる方などにはまったく縁遠い世界でしょう。ある面では自然との絶えることのない戦いのようなもので、自然との適切な関係をどう築けばいいか四六時中悩まされています。生態系は少しずつですが絶えず変化しています。私は西洋的な「人間が自然を支配すればいい」というような考え方はせず、うまく自然と調和しないといけないと思っているのですが、それにふさわしい知恵が自分に欠けています。おそらく自然との関係にある種の困難を抱えている人は世界中にたくさんいると思うのですが、それらに対処する手本となる事例はなかなか見つかりません。

 

しかしながらそれに増して自然の良さはあって、私の家は季節ごとに虫の音やカエルの鳴き声、鳥の鳴き声、緑に包まれていますし、山を歩けば気分が毎回リフレッシュするものです。わずかばかりでも自分で育てた野菜を食べれば大きな満足が得られますし、いわゆる癒やし効果というのは間違いなくあります。

 

私の身近なところだけでなく、今温暖化問題やさまざまな自然災害、環境汚染問題のことも聞きます。今日は触れませんでしたが、人間の肉体という自然をどう扱うかという問題も大きな問題です。個人の問題、社会の問題も大切ですが、自然の問題からも目が離れません。