たとえば、私は街を歩くとき、街にあるすべての店や場所を訪れることはなく、自分の必要性や気分に従って、いろいろなところに立ち寄っています。街全体をノイズととらえれば、その中から特定の「音」を取り出して、それをたどり、あたかも一つの音楽を作っているようなもの。私の住んでいるところは自然が豊かなのですが、そこでも同じです。季節によってさまざまな花が咲き、さまざまな植物が芽を出し、一見混沌としているのですが、散歩したり、庭で過ごす際には、その中から特定のものに意識を向け、観察したり作業したりするのですが、これも膨大な情報の中からいくつかのものを取り出して、生活の中に一つの「音楽」を構成しているようなもの。
私は同時代人の人たちに比べて、多くのCDやレコードを買ったわけではないのですが、それでも多少好みの演奏家や歌手はいました。しかし、かつてに比べれば、多様性は減りはしないまでも、いわゆる売れる歌手は似たようなアイドルグループのものが多くなりました。それはあまりおもしろくないと思うのです。最近はメジャーなものが巨大で、マイナーなものは多様ではあっても、影響力をあまりもたない、そういう時代であるような気がします。
この世界は目をむけさえすれば、本当に豊かであることが感じ取れるはず。自然であっても、社会であっても。それを物語といってもいいし、音楽といってもいいのですが、日々生きていく中で、何かを選択することを通じて、意識の中でそれらを紡いでいる。生きることはそういう類の芸術なのではないかと思うのです。皆が高らかに自らの音楽をかなでれば、人々はより幸せになると思うのです。そして時にはいつもと違った音楽を奏でるのもいいこと。そう思った次第です。