生活の中の音楽

 昨日の新聞に坂本龍一氏のインタビューが載っていました。(こちら:一部分のみ)インタビュワーが「…。音楽はノイズの中から音を選び取って、秩序を構築するイメージですが、…。」と聞くと、坂本龍一氏は「…。音楽で使う音は、ノイズも含む存在する音から選択された美しい音で作り上げる構造物です。…」と答えていました。坂本氏はノイズとその美しい音の境界を取り払いたくて新譜を出したらしいのですが、このようなノイズと美しい音との関係は、私たちの日々の生活での選択にも見られるだろうと思い至った次第です。

 たとえば、私は街を歩くとき、街にあるすべての店や場所を訪れることはなく、自分の必要性や気分に従って、いろいろなところに立ち寄っています。街全体をノイズととらえれば、その中から特定の「音」を取り出して、それをたどり、あたかも一つの音楽を作っているようなもの。私の住んでいるところは自然が豊かなのですが、そこでも同じです。季節によってさまざまな花が咲き、さまざまな植物が芽を出し、一見混沌としているのですが、散歩したり、庭で過ごす際には、その中から特定のものに意識を向け、観察したり作業したりするのですが、これも膨大な情報の中からいくつかのものを取り出して、生活の中に一つの「音楽」を構成しているようなもの。

 私は同時代人の人たちに比べて、多くのCDやレコードを買ったわけではないのですが、それでも多少好みの演奏家や歌手はいました。しかし、かつてに比べれば、多様性は減りはしないまでも、いわゆる売れる歌手は似たようなアイドルグループのものが多くなりました。それはあまりおもしろくないと思うのです。最近はメジャーなものが巨大で、マイナーなものは多様ではあっても、影響力をあまりもたない、そういう時代であるような気がします。

 この世界は目をむけさえすれば、本当に豊かであることが感じ取れるはず。自然であっても、社会であっても。それを物語といってもいいし、音楽といってもいいのですが、日々生きていく中で、何かを選択することを通じて、意識の中でそれらを紡いでいる。生きることはそういう類の芸術なのではないかと思うのです。皆が高らかに自らの音楽をかなでれば、人々はより幸せになると思うのです。そして時にはいつもと違った音楽を奏でるのもいいこと。そう思った次第です。