心と世界

 マノームーラム イダム ジャガト
 このジャガト(世界)は心に基づいてある

という言葉があります。間違っているかもしれませんが、マノーは心(マインド)、ムーラムは基盤(とする)、イダムはこの、ジャガトは来ては去っていくものという意味だったと思います。私たちを取り囲む環境は私たちの心(マインド)に従っているという意味です。多くの解釈ができますが、私の考えを書きたいと思います。

 心をもつ人間に対して、その心に応じた世界が周囲にあらわれます。たとえば、心に応じて選んだ付き合う人や住む場所、職場など。

 以前このブログにも取り上げたことがあるかもしれませんが次のような言葉があります。
 「人生というのはカルマの再現VTRだそうで、行いが改まるまで何度でもまったく同じ光景がそこに広がるそうです。」(奥山さん)

 行いのパターンとは心のパターンとほぼ同じことですが、行いが改まるには、心のありようが変容する必要があります。同じように考えていたら同じような行為を繰り返すのは、年をとった人にはわかることと思います。心が変わることで行動が変わります。心あるいは考え方をただ変えるということが大切なのではなく、何らかの学びを伴うことで自然に心が変容することが大切なのだと思います。人生とはある種の学校で、学ばなければいけないことがあるゆえに、人間は繰り返し生まれてくるとも聞きます。

 苦手な状況が繰り返し繰り返し自分を襲ってくることがあります。最近そういうことがあると、「何を学ばなければならないのか」と自分に言い聞かせることが多くなりました。心が変われば、「来ては去るもの」=ジャガトは去っていき、新たな状況に人は置かれます。

 時間は皆に均一に流れていますが、真に価値ある時間とは心の変容を伴った時間のはず。

 世界は心の反映、反響、反応。感覚的に同じものをみているような気がしても、心が違えば、たとえわずかにしても、異なるものが見えてきます。特定の人に対する評価が人によって異なるように。

 また病は心の癖が身体に反映したものだそうですが、病(という苦しい状況)も人に学べ、学べと何かを伝え、人を促しているのでしょう。

 心をなくしてしまう(思考のない状態で生きる)ことはほとんどの人にとって困難ですが、少なくとも複雑ではなく単純(シンプル)な心でいたいと思っています。また、何か話をするときや何かを行うときに、心を注意して用いたいです。