愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

瞑想における気づき

 瞑想に関してテクニカルなことになるかもしれませんが、最近思うことを少し書いておこうと思います。

 英語でfiniteは有限の意味で、infiniteは無限の意味です。無限とは何かというと、人それぞれ考えがあるでしょうが、私は無限とは数え上げることができないこと、つまり心(マインド)によって把握できないことと理解しています。心(マインド)は何かを前にして、それはこうこうこういうものだと限定することでそれを思考の対象にしますが、無限とはそういう限定を許さないもののことです。

 さて、私たちが瞑想をするとき、つまり目を瞑って静かに座るとき、瞑想の経験がほとんどない人ならば、そこに雑念がわんさか沸き起こってきます。ある程度瞑想の経験をつんだ人ならば、心がいろいろなことについて多少考えてはいるものの、想念の雲は消えています。

 今から述べることは、多分すべての人に当てはまるだろうと思うのですが、人が目を瞑って静かに座っているとき、何かを思考しても、それを常に押し流すような力が内在しているのに気づくのではないでしょうか? 小さな船が大海において大波に揺さぶられるかのように、私たちの思いは安定することはありません。それはハート(胸)から来る強力な力によって押し流されています。

 かつて私はこの力は何なのかと必死にその源を探そうとしました。しかしながら、それは頭(マインド)では決して認識(つまり掴み取ることの)できないもの、つまりinfinite(無限)でした。私はここまで来るのにだいぶ時間がかかりました。そして後に思ったのですが、このinfinite(無限)は神(の属性)であることに気づきました。しばしば神が無限の存在といわれている通りです。

 この段階にたどり着いてから後は、マインド(思考)を減らしていくことに取り組みました。内在する力に抗ってもどうにもならないので、内在する力の前にマインド(頭脳)が無力であることを自分に言い聞かせるようにしました。同時に内在する力で内側を満たすようにしました。

 結局のところ、何らかの視座・視点があって人は何かを考えることができます。その考える基点を消滅させない限り、思考はとまらないのではないかと思います。そしてこの基点、視座、視点はほとんどが人間の勝手な、あるいは何の気もないようなちょっとした思い込みによって作られています(それは多くの場合、ねばならないという形を取ります)。この思い込みを取り除くことによって、思考は減っていきます。

 瞑想の段階が進み、思い込みを少しずつ手放していったことによって、私は先入観にとらわれることのない自由を獲得していったように思います。

 短期間では効果は実感できないのですが、長期間うまずに続けていれば、大きな効果があるはずです。どうぞ関心のある方は瞑想をされてみてください。私は約14年間1日も欠かさず続けています。