愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

コンピュータと人間

昨日の新聞にコンピュータに関する記事が載っていました。最近はチェスや将棋でコンピュータが人間を負かし、クイズ番組でも人間を凌駕すると書かれています。また、文章を自動的に作成するようにプログラムされたコンピュータもあるようです。コンピュータが書いた文章と人間が書いた文章の見分けがつかないケースもあるそうです。

私は以前コンピュータの可能性に恐怖を感じたことがあります。何かの映画であったように思うのですが、コンピュータがそのうち命をもち、人間のように振舞う日が来るのではないかと。コンピュータが人間を支配するとかそういうようなことは考えなかったのですが、人間が人間たる価値が、コンピュータによってすべて代替可能となるかもしれないことが怖かったのです。人間が単なる機械に過ぎない、あるいは機械より劣っているかもしれないと考えると、自分の存在意義がなくなるような気がしました。

しかし、今では人間にできてコンピュータにできないこともあると思っています。コンピュータは人間が入力したデータやプログラムで動くものです。入力されていないデータに関してはコンピュータは計算できません。私がいつ死ぬか、コンピュータにはわかりません。血液検査のデータや血圧、心電図の結果を入力すれば、あと何年くらい生きるか推測することはできるかもしれませんが、いつ死ぬかはわかりません。

インターネット上にあるデータを分析して役立てる「ビックデータ」という統計ビジネスについて最近耳にします。フェイスブックのコメントなどによって、その人の考えや志向がかなりの確率で推測できるようです。アマゾンでもいろいろ私にあったものを勧めてくれます。しかし、現在インターネット空間上にあるすべてのデータを解析することのできるコンピュータがあったとしても、やはり人間でなければわからないことはあります。

コンピューターによる数学の証明に関して、さまざまな意見があります。ある面では人間はコンピュータに及びません。しかし、人間の頭脳による証明がなければ、新しい考え方や概念はもたらされません。また、新しい言語の習得に関してもいろいろな研究があるようです。新しい言語をさまざまなデータを積み上げることによって習得することは難しいそうです。

人間の脳と目に見えないマインドは異なります。脳は体が死んだとき一緒にダメになりますが、マインドは体が死んでもなくならないといいます。コンピュータは脳のようなものです。人間の脳を超えることはできても、マインドの持つ力を獲得することはありません。

コンピュータは他人の目で見ることを習慣にした機械です。自分の目でものを見ることはできません。他人の目で世界を見ることを習慣にした人の頭脳がコンピュータの頭脳にまさることはないでしょうが、ひとたび人が自分の目で世界を見るようになれば、コンピュータの限界に気づくのではないかと思います。