I am very very happy!

私の師は味わい深い言葉を多く残してくださっています。その中で私の好きなもののひとつは「サントーシャム」という言葉です。その意味は「私はとてもうれしい(I am very very happy!)」というようなものです。

たとえばある人が師のところに来て、「この問題で困っています」、「私は頭痛で苦しんでいます」、「私は胃痛で苦しんでいます」、あるいは夫の死を嘆く未亡人が「夫に先立たれました」というような場合に、師は「サントーシャム」(私はとてもうれしい)と言います。そしてこう言われた人の多くの人はいぶかしがります。
師は「サントーシャム」とは至高の祝福のことだと言いますが、ここで少し祝福について考えてみます。人は多くの願いを胸に秘めています。基本的にすべての願いは至高の神に聞き届けられます。神は、善良な人の願いも、泥棒などの邪悪な人の願いも同じように聞き届けます。すべてを「その通りでありますように」と祝福なさいます。しかし人々の願いというのはほとんどが単なる欲望です。

富の内で最高の富は神ご自身です。神を手にするということは、全宇宙を手にするということでもあります。神は如意樹のようなものであります。神はすべての富を与える方であり、神は必ずしも私たちの欲するものをすべて与えてくださるかどうかわかりませんが、必要なものはすべて与えてくださいます。

さて、神を求める人には4種類いると言われています。それは、苦しむもの、富を求めるもの、知識を求めるもの、悟ったものの4種類です。私もそうだったのですが、少なくない数の人が苦しみを経験して神のみもとにやってきます。人を神のもとへと導くもののことを師と呼ぶならば、苦しみほど人を神のもとへと導いたものはないのかもしれません。

私の師は苦しむ人々が来ると先に書いたように、「サントーシャム(私はうれしい)」と言います。つまり苦しみによって神のみもとに引き寄せられることを最高の祝福だと言っているのだと思います。神を求めるということは、欲望の中で最高のものです。そしてこの欲望が他の欲望と最も異なっている点は、他の欲望は満たされれば虚しさとさらなる欲望が湧いてくるのに対し、神を求めることは求めるほどに満たされ満足するということです。

欲望というものは昇華されないといけませんが、その頂点が神を求めることであり、それが最高の祝福なのです。