愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

欲望のコントロール

 人間が備えなければいけない徳には真実、正義、平安、愛、非暴力などがあります。一方人間ができるだけ避けなければならない悪徳にはエゴ、執着、欲望、嫉妬、憎悪、怒りなどがあります。身につけるべき徳を身につけるには時間がかかり、避けなければならない悪徳を減らすのにも時間がかかります。一生をかけての仕事です。

 特に今日は欲望について触れたいのですが、欲望のすべてが悪いわけではありません。人間として向上したい、人を助けたい、能力を身につけたい…、肯定的な欲望もまたたくさんあります。
 ここで触れたいのは、あれが欲しい、これが欲しいというような類の欲望です。

 生活に必要なものを欲することは自然なことです。住む家、食べるもの、着るものを人間は必要としています。また人によってはよき配偶者を欲したり、心の通う友人を求めることもあるでしょう。また健康を求めることも当然のことです。
 しかし度を越えて物を求めること、貪欲と呼んでもいいものは逸脱といえるでしょう。

 年を取ってくると生活にどれくらいのものが必要かがわかってきます。しかし悲しいかな、主にメディアの影響と、人によっては付き合う人間の影響によって、必要のないものが欲しくなったりすることはしばしばです。この点で私は人を非難することはできません。インターネットにアクセスしているとさまざまな広告が目に入ります。人の書いていることを読むと多種多様な影響を受けます。何か必要なものを、たとえばアマゾンで探していると、当初探していたものとは別のものまで検索していることはしばしばです。

 夜寝る間際になって昼間の影響で頭の中が騒がしいことがあります。日本では煩悩といいますが、煩悩を実感することに事欠きません。

 その欲望をコントロールする、すなわち欲望をすべて取り除くことではなく、欲望に上限をおくことは、できるだけメディアから遠ざかる、悪い影響をもたらしていると思われる人を避けるなどの方法もありますが、もう一つ最近理解できるようになってきたのですが、「思い込みを捨てる」ことも欲望をコントロールする方法だということです。

 人があることをするとき、その前提となる思いがあるのがほとんどですが、仮にいい思いであったとしても、一回その思い、思い込みを捨ててみる。そうすると、多分行動が容易に変わりうるのを感じるでしょう。行動が変わるということは、求めているものが変わるということです。意外にも、些細ななんでもないような思い込みが結構多くの欲望のもととなっています。試してみてはいかがでしょうか? いい思いを手放す必要は必ずしもないのですが、それが人間に多くを求めさせているということを理解するのは有意義なことだと思います。

 生きていくのに本当に必要なものは、ごくごくわずかだといいます。私のこの50年近い人生で得てきたものは、他の国で数回の人生を生きるに必要な量になるのではないかと最近恥ずかしくも思っています。