老いの暮れ

以前法然上人の和歌を掲載したことがありますが、今日も法然上人の和歌です。

極楽は日に日に近くなりにけり あわれうれしき老いの暮れかな ――法然上人

人間はこの世に生まれたとき、皆泣きます。この煩わしい世に生まれることが嫌なのかもしれません。死ぬときは、泣きながら去ることもできれば、笑いながら去ることもできます。私はできれば法然上人のように平安の内に微笑みながらこの世を去っていきたいなと思っています。

死というものはいつ私たちを襲ってくるかわかりません。テレビや新聞などには、日々さまざまな事故や災害で人々が死んでいくことが伝えられています。私は死なないと多くの人が思っているのかもしれませんが、いつ死が襲ってくるかは人間にはわからないと思います。私も今まで何回か交通事故にあいそうになったことがあります。ほんの少しの差で命拾いしましたが、自分の運のよさ、あるいは神仏の守護に感謝したものです。あるいは精神的に追いつめられた時期があり、死を思ったこともあります。

学生時代にある写真集を手にしたことがあり、そこには「メメント・モリ」という言葉が書かれていました。これはフランス語だったと思いますが、「死を想え」という意味です。ヨーロッパで疫病か飢饉が広まったとき、多くの人々の口にこの言葉がのぼったそうです。そのとき以来死というものをいろいろ考えてきました。まだ若く人生これからという時期だったので、そのときは「今死を受け入れることはできない」と心の底で感じたものです。しかし、人生を少し重ねると死に対する拒絶感も薄れてきました。特に母をあの世に見送った後、不思議と私は生まれてきた目的の半分を達成したような気持ちになりました。母の世話というなすべきことを誠実に行ってきたので平安が訪れたのかなと思ったものです。 多分これからも目の前にあるなすべきことを忍耐心をもって当たり前に行い続けていけば、より一層死に対する拒絶感もなくなっていくのだろうと思っています。

法然上人は、念仏の御教えを日本に広め、自ら誠実に念仏の教えを生きた方ですが、さまざまな苦難もあった一生をきちんと生きてきたことで、晩年最初に掲げたような和歌を詠まれたのだと思います。多分宗教心のことさら強くない人でも、一生をきちんと生き切った方は晩年自然に死を受け入れるようになるのだと思います。しかし欲望やエゴの赴くまま人生を過ごした人は、晩年体力も知力も精神力も衰えたとき、死を前にして恐怖に駆られるように思います。
人は泣きながら生まれてきた人生を笑いながら終えるべきだと思っています。そのために私は毎日を大切に過ごしていきたいと思います。